Fabrizio De André

Fabrizio Cristiano De André

(Genova, 1940 – Milano, 1999)

ファブリツィオ・デ・アンドレ

ファブリツィオ・クリスティアーノ・デ・アンドレはイタリアで名高い大物カンタウトーレ(シンガーソングライター)のひとりで、約40年間におよぶ音楽活動のなかで、13枚のスタジオ録音によるオリジナル・アルバムに加え、数枚のライヴ盤やコンピレイション盤などをリリースしている。ファブリツィオ・デ・アンドレが書いた多くの曲は、社会的な差別や体制への反抗、それに娼婦や社会的弱者について歌われており、その詩は批評家筋から高く評価されると共に、文学詩集として学校の教科書に収録されたり、マリオ・ルーツィのような大物詩人から称賛を受けたりしている。

日本では知る人ぞ知る的な存在でありながら、なぜか日本人の心の琴線に触れるファブリツィオ・デ・アンドレについて、簡単なバイオグラフィを含めながら諸作を紹介してみたい。ファブリツィオは親しみを込めて「ファーベル」という愛称で呼ばれることがある。これは子供の頃にファーベル=カステル社の筆記用具を愛用していたことから、幼馴染のパオロ・ヴィラッジョが、ファブリツィオの名前に掛けて命名したものだ。ジェノヴァ出身のヴィラッジョは後に俳優やコメディアンの職に就いた人物で、若き日のファブリツィオと曲作りを共にしたこともある。

ファブリツィオは1940年2月18日にジェノヴァの西側にある街ペーリに生れた。デ・アンドレ家は父ジュゼッペ、母ルイザ、4歳年長の兄マウロという家族構成で、ジェノヴァには戦前から居を構えていたが、戦争中はピエモンテ州アスティの農場に疎開、終戦後再びジェノヴァに戻った。ジュゼッペは反ファシスト派でパルチザンに加入しており、戦後はジェノヴァの副市長(イタリア共和党所属)を務めた後、地元の製糖会社エリダーニアのCEOを経て会長職に就任、またジェノヴァ展示場(フィラ・デル・マーレ)の建設を推進し初代取締役を務めるなど、同地ではかなり重要な人物だった。ルイザの実家も裕福な家系でワイナリーを経営していた。マウロは後に弁護士になったが、弟の熱心なファンであり批評家でもあった。

ファブリツィオが音楽から受けた最初の影響は、父からフランス土産に貰ったレコードで、シャンソン歌手ジョルジュ・ブラッサンスの歌からだった。また初めて習ったヴァイオリンに次いで、14歳の時には母からギターを買ってもらい、コロンビア人教師アレックス・ジラルドによるレッスンを受けている。初舞台は55年のカルロ・フェリーチェ劇場におけるチャリティショウへの出場で、ザ・クレイジー・カウボイ&シェリフ・ワンというグループの一員としてバンジョーを演奏した。

子供時代は問題児で教師とぶつかることも度々だったが、59年に地元のコロンボ古典高校を卒業しジェノヴァ大学に進学、兄に習い法学を専攻し弁護士を目指した。しかし試験をクリアできずドロップアウト、同時期にアルコール依存の問題も抱え始めた。弁護士から音楽の道へ方向転換を決意したファブリツィオは、ルイジ・テンコ、ウンベルト・ビンディ、ジーノ・パオーリなどのジェノヴァ派カンタウトーレとも頻繁に交流していた。61年には地元のボルサ・デ・アルレッキーノ(57~62年まで続いた革新性のある実験的な舞台プロジェクト)に出演し、Nuvole barocche(バロック雲)を歌っている。自作曲ながらドメニコ・モドゥーニョの Volare(ヴォラーレ:サンレモ音楽祭58年の優勝曲)の影響下にあり、まだ独自のスタイルを確立していない。

61年の秋にカリム・レーベル(父ジュゼッペが出資者のひとり)で初めてのレコーディングを行い、ファーストシングルとして Nuvole barocche をリリースしている。カップリングされた E fu la notte(夜になって)はレトロ趣味の50年代風な作品で、ファブリツィオはこの2曲を若書きの失敗作と見なしている。またこの頃ファブリツィオは娼婦と付き合っていたが、友人の紹介により、ジェノヴァ出身で7歳年上のジャズ愛好家エンリカ・リニョン(愛称プーニ)と交際を開始した。62年7月に彼女の妊娠を機に結婚し、同年末に息子のクリスティアーノが誕生している。当時ファブリツィオは家計を支えるため、父親が運営する研究所の管理部主任の職(また一説には教職)に就いていた。

一方で音楽活動も引き続き行っており、61~66年の間にカリム・レーベルから、ファーストを含めて10枚のシングル(曲数で18曲)をリリースしている。そのなかで、64年に実際の事件を元に書き上げた La canzone di Marinella(マリネッラの歌)は、4年後にイタリアの歌姫ミーナが大ヒットさせたことで、ファブリツィオの名前を世間に広く知らしめるきっかけになった。66年にカリム時代のシングル10曲をまとめた、初のアルバムとなる編集盤 Tutto Fabrizio De André(ファブリツィオ・デ・アンドレの全て)を発表、69年には続編 Nuvole barocche(バロック雲)をカリムの後釜レーベルRRC(カリムは66年に倒産)よりリリースしている。しかし編集盤でない実質的なファーストアルバムは、ミラノを本拠地とするブルーベル・レコードが制作した Volume 1 である。

Tutto Fabrizio De André

Tutto Fabrizio De André

(1966 Karim KLP 13)

La ballata dell'amore cieco (o della vanità) / Amore che vieni, amore che vai / La ballata dell'eroe / La canzone di Marinella / Fila la lana / La città vecchia / La ballata del Miché / La canzone dell'amore perduto / La guerra di Piero / Il testamento

Nuvole barocche

Nuvole barocche

(1968 Roman Record Company RCP 704)

Nuvole barocche / E fu la notte / Delitto di paese / Valzer per un amore / Per i tuoi larghi occhi / Carlo Martello ritorna dalla battaglia di Poitiers / Il fannullone / Geordie / Amore che vieni, amore che vai / La canzone dell'amore perduto

ファーストアルバムを発表

ファブリツィオ・デ・アンドレは1967年5月、ブルーベル・レコード(アントーニオ・カセッタ創設)からファーストアルバム Fabrizio De André を発表した。通称 Volume 1 とされる本作は編集盤ではない最初のスタジオ録音盤で、プロデュースとアレンジにはイタリアン・ロック界で活躍中だった音楽家、ジャンピエロ・レヴェルベリを起用している。彼はルチオ・バッティスティ、ニュー・トロルズ、ル・オルメなどを手掛けていた人物だ。作詩はデ・アンドレ、作曲はレヴェルベリとの共作が過半数を占め、新曲と未発表曲で構成されている。全体的にフォーク調の素朴な内容で、何となく自己スタイルを模索しているような曲もあるが、デ・アンドレの個性と魅力はすでに十分に表れている。

冒頭の曲 Preghiera in gennaio(1月の祈り)は、67年1月開催のサンレモ音楽祭でピストル自殺を遂げたルイジ・テンコへ捧げた歌。デ・アンドレとは旧知の仲で、葬儀のあと一気にこの追悼曲を書き上げた。また情熱的な娼婦について歌った Bocca di rosa(薔薇の口)と、娼婦やクロスドレッサーらが暮らすジェノヴァの裏通りの情景を歌った、エンツォ・ヤンナッチとの共作 Via del Campo(カンポ通り)は、初期を代表する名曲だ。La canzone di Barbara(バルバラの歌)は、デ・アンドレの撮影もしていた写真家のバルバラ・セッラがモデル。Spiritual(霊歌)は合唱を入れたシンプルなメロディの曲。

クレジットには名前がないが、ジェノヴァのギター奏者ヴィットリオ・チェンタナーロとコラボした Si chiamava Gesù(彼の名はイエス)は、ヴァティカン放送で流されたにも関わらずRAI(イタリア放送協会)の検閲対象となった。加えて幼馴染のパオロ・ヴィラッジョと共作した Carlo Martello ritorna dalla battaglia di Poitiers(カール・マルテル、ポワティエの戦より帰還せし)もまた、卑猥な内容がRAIの検閲対象となり歌詞掲載を自粛している。なおこの曲は、63年リリースのシングルを再レコーディングしたものである。

カヴァー曲はデ・アンドレに最も影響を与えたフランスのシャンソン歌手、ジョルジュ・ブラッサンス作のイタリア語編曲版 Marcia nuziale(結婚行進曲)と、同じくブラッサンス作 Le verger de Roi Louis(ルイ王の果樹園)のメロディに、死の必然性に関する新たな詩をつけた La morte(死)の2曲を収録。また初版プレスには、アランフェス協奏曲のアダージョに詩を付けた Caro amore(スウィート・ラヴ)が収録されていたが、作曲者ロドリーゴの承認を得られず、セカンドプレス以降は黄昏の愛について歌ったオリジナル曲 La stagione del tuo amore(愛の季節)に差し替えられた。

Volume 1

Fabrizio De André (Volume 1)

(1967 Bluebell Records BBLP 39)

  1. Preghiera In Gennaio
  2. Marcia Nuziale
  3. Spiritual
  4. Si Chiamava Gesù
  5. La Canzone Di Barbara
  6. Via Del Campo
  7. La Stagione Del Tuo Amore
  8. Bocca Di Rosa
  9. La Morte
  10. Carlo Martello Ritorna Dalla Battaglia Di Poitiers

死をテーマにしたコンセプトアルバム

1968年9月にリリースされたファブリツィオ・デ・アンドレのセカンド Tutti morimmo a stento(みんな苦しんで死んだ)は、イタリアのロック界におけるコンセプトアルバムの草分け的存在。80人編成のオーケストラと少年合唱団を起用しており、オケを含む制作総指揮はジャンピエロ・レヴェルベリが担当、音楽も全曲レヴェルベリとデ・アンドレの共作だ。詩はデ・アンドレが全曲書き下ろしており、「人生において全ての人が直面する様々な死」をテーマに描いている。全体的に沈鬱かつ荘厳な雰囲気だが、ファーストと比べると相当に練られた力作という印象を受ける。なお同じ年にレヴェルベリとは、テレビ番組 I viaggi di Gulliver(ガリヴァー旅行記)のサントラも制作している。

アルバムは3つの間奏曲を挟んで展開される。冒頭7分の大曲 Cantico dei drogat(薬中毒者の歌)は、デ・アンドレの盟友リカルド・マネリーニの詩 Eroina(ヘロイン)をベースに、瀕死の状態にあるドラッグ中毒患者の心情が歌われている。デ・アンドレは18歳の頃からウイスキーを煽り、相当なアル中ぶりを発揮していた(45歳の時に父の死の床で断酒を約束した)ので、中毒者の心境は痛いほど解かるのだろう。ちなみにニュー・トロルズのファーストアルバム Senza orario Senza bandiera(遙かな旅立ち~旅程も旗印もなく)においても、マネリーニの詩を基にした歌詞を提供している。

Primo intermezzo(第一間奏曲)に続く Leggenda di Natale(聖夜の物語)は、ジョルジュ・ブラッサンス作 Le Père Noël et la petite fille(サンタと少女)に着想を得た曲で、切ないメロディのデ・アンドレ版では純潔を失う少女を描く。Secondo intermezzo(第二間奏曲)を挟み Ballata degli impicatti(絞首刑者たちのバラッド)は、フランスの詩人フランソワ・ヴィヨンが極刑宣告を受けた際に書いた詩にインスパイアされた曲。当初 Volume 2 とする予定だったアルバムタイトルに、同曲冒頭の一節 Tutti morimmo a stento(みんな苦しんで死んだ)が採用された。Inverno(冬)についてデ・アンドレは、愛に保証を求めることに異を唱えた曲だと説明する。また陽気な童歌 Girotondo(輪になって踊ろう)に載せて歌われるのは、シリアスな内容の反戦歌である。

そして本作最大の聴きどころは、アルバムの終盤 Terzo intermezzo(第三間奏曲)から、Recitativo: due invocazioni e un atto di accusa(叙唱:二つの願いとひとつの訴え)と、Corale: leggenda del re infelice(合唱:不幸な王の伝説)へメドレーのように続く3曲で、これが実に素晴らしい。戦争について歌ったギター伴奏による古風な小品から、デ・アンドレの哲学的な朗唱がアタッカで続き、それに少年合唱団のコーラスが天上の声のごとく呼応、さらにストリングスも重なり、まるでクラシックのカンタータを聴いているような厳かなムードで幕となる。

Tutti morimmo a stento

Tutti morimmo a stento

(1968 Bluebell Records BBLP 32)

  1. Cantico dei drogati
  2. Primo intermezzo
  3. Leggenda di Natale
  4. Secondo intermezzo
  5. Ballata degli impiccati
  6. Inverno
  7. Girotondo
  8. Terzo intermezzo
  9. Recitativo (due invocazioni e un atto di accusa)
  10. Corale (leggenda del re infelice)

「マリネッラの歌」のヒットで急遽制作

ファブリツィオ・デ・アンドレの3作目となる Volume 3 は、新曲4曲にカリム・レーベル時代のシングルをリアレンジし再レコーディングした6曲を加えた準オリジナル作品。前作からわずか3カ月後の1968年末に発売されたが、理由は同年にイタリアの歌姫ミーナ・マッツィーニが、デ・アンドレの曲 La canzone di Marinella(マリネッラの歌)をヒットさせたことが背景にある。レコード会社(ブルーベル・レコード)はこれに便乗して、同曲を含むこのアルバムを急いで製作した。

さすがにオリジナル曲を書き下ろす時間的余裕はなかったようで、新曲は全てカヴァーである。檻から脱走したゴリラが判事を襲う内容で極刑批判を歌う Il gorilla(ゴリラ)と、純潔の乙女が官能に目覚める姿を描いた Nell'acqua della chiara fontana(澄んだ泉の水の中)の2曲は、原曲も有名なジョルジュ・ブラッサンスの作品をイタリア語に編曲したもの。加えてデ・アンドレの中世趣味が現れた2曲、13世紀イタリアのソネットに着想を得た S'i' fosse foco(私が炎ならば)と、14世紀のフランス伝承歌をイタリア語に改編した Il re fa rullare i tamburi(王は太鼓を叩かせる)を新たに録音している。

再レコーディングしたカリム時代の曲はいずれも素朴な魅力に溢れている。デ・アンドレの名前を世間に大きく知らしめるきっかけになった La canzone di Marinella(64年のシングル)は、客に殺された身寄りのない娼婦(マリア・ボクッツィ殺害事件)を哀れみ、追悼の意を込めて書いた名曲。61年のセカンドシングル La ballata del Miché(マイクのバラッド)は、デ・アンドレが認める最初の作品(ファーストシングルは失敗作と言及)で、前年の夏にクレリア・ペトラッチと共作。歌詞には実存主義からの影響が現れている。カップリングの反戦歌 La ballata dell'eroe(英雄のバラッド)は、後に親友のルイジ・テンコも録音し映画 La cuccagna(理想郷)で使われた。

63年のシングル Il testamento(遺言)はブラッサンスの同名曲を参考にしており、死を迎える男の気持ちをユーモラスかつ皮肉っぽく歌う。ギター奏者のヴィットリオ・チェンタナーロと共作した、64年のシングル La guerra di Piero(ピエロの戦争)も代表的な反戦歌で、デ・アンドレの叔父から聞いた戦争体験が基になっている。66年リリースのカリム時代最後のシングルで、移ろう愛を歌った Amore che vieni, amore che vai(愛は訪れ、愛は去る)は、2008年公開の同名映画にも使われている。この映画のストーリーはデ・アンドレが96年に書いた小説、Un destino ridicolo(戯れな運命)をベースにしている。

Volume 3

Volume 3

(1968 Bluebell Records BBLP 33)

  1. La canzone di Marinella
  2. Il gorilla
  3. La ballata dell'eroe
  4. S'i' fosse foco
  5. Amore che vieni amore che vai
  6. La guerra di Piero
  7. Il testamento
  8. Nell'acqua della chiara fontana
  9. La ballata del Miché
  10. Il re fa rullare i tamburi

福音書により歌われるイエスの生涯

1970年11月リリースの本作よりプロドゥットーリ・アソチャーティ(ブルーベル・レコードの親会社による統合)の制作となる。ファブリツィオ・デ・アンドレの4作目は、新約聖書外典で語られるイエス・キリストの生涯をテーマにしたコンセプトアルバムで、タイトルの La buona novella(朗報)も具体的には福音書のことを指している。本作はイタリアにおける学生運動や反体制運動の渦中に制作されたが、デ・アンドレは寓意を含んだ本作によって、人間としてのイエスが歴史上最大の革命家であることを民衆に訴えようとした。批評家筋からは辛口な評価が下されたが、ファンや若者世代からの圧倒的な支持でヒットを記録。デ・アンドレ自身も本作を評価しており、未発表ながら英語ヴァージョンも録音している。また第2版は La canzone di Barbara(バルバラの歌)で歌われた、バルバラ・セッラ撮影による別デザインのジャケットで発売された。

サウンド面で注目すべきは、イタリアのプログレ界において最高峰と言っても過言ではない、PFM(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)の結成メンバーがバックを固めていること。ただし本作録音時はまだブレイク前夜でイ・クエッリと名乗っていた。PFMを聴いたことがあれば、随所にプログレ風の華やかで凝ったサウンドやコーラスが見え隠れすることに気が付くだろう。彼らの貢献もあって、これまでのフォークっぽい素朴なイメージから脱して、デ・アンドレ節は健在ながらも、ややロック方向に舵を取った新しい音楽が展開されている。曲作りは前作と同様デ・アンドレとジャンピエロ・レヴェルベリのコンビで、アレンジメントはレヴェルベリ。プロデュースは本作の原案を持ち込んだロベルト・ダネで、デ・アンドレ作品を初めて担当している。なおPFMは2010年に本作のリメイク盤、A.D.2010 – La buona novella(紀元2010年~PFMとアンドレの新たな旅)をリリースしている。

礼拝の如く神を祝福する Laudate Dominum(主を崇めよ)に続き、ヤコブ原福音書による L' infanzia di Maria(幼年期のマリア)の物語で幕を開ける。神殿で過ごす少女マリアに月の障りが始まる頃、老大工ヨゼフが保護者に選ばれマリアを妻として引き取った。長い仕事の旅から帰宅 Il ritorno di Giuseppe(ヨゼフの帰還)すると、ヨゼフはマリアが身籠ったことを知りショックを受ける。Il sogno di Maria(マリアの夢)でマリアは、夢に天使が現れ、潔白のまま神の子を授かったことをヨゼフに告げる。甘美な旋律による Ave Maria(アヴェ・マリア)は、福音書にはない母なるマリアを賛美する曲。

Maria nella bottega d'un falegname(大工工房のマリア)は、職人が自分の息子のために十字架を作っていることを知る。イエスが十字架を担う姿 Via della Croce(十字架の道行き)を眺める民、そして磔られた我が息子を哀れむ母マリアの苦悶が、Tre madri(三人の母)で歌われる。デ・アンドレの主張が表明されたクライマックスの Il testamento di Tito(テトスの遺言)において、如何にして人々は十戒に反して生きているのかを語り、最後の Laudate Hominem(その人を崇めよ)にて、イエスもまた人間でありその生涯は人生そのものだと説く。イエスの神聖より人間性を強調して物語は終わる。

La buona novella La buona novella (def)

La buona novella

(1970 Produttori Associati PA/LPS 34)

  1. Laudate Dominum
  2. L' infanzia di Maria
  3. Il ritorno di Giuseppe
  4. Il sogno di Maria
  5. Ave Maria
  6. Maria nella bottega d'un falegname
  7. Via della Croce
  8. Tre madri
  9. Il testamento di Tito
  10. Laudate Hominem

スプーン・リヴァー詞華集に着想を得て

アメリカの詩人エドガー・リー・マスターズの詩集 Spoon River Anthology(スプーン・リヴァー詞華集:1915年刊行)は、架空の町の丘墓地に眠る住民たちに、墓碑銘を通じて自らの人生を赤裸々に独白させることで、人間同士の錯綜や社会の暗黒面などをコミカルに描いている。ファブリツィオ・デ・アンドレは18歳のときにこの詩集に出会い、再度読み直して244編あるポエムから9編を選んで改作、1971年に Non al denaro non all'amore né al cielo(金や愛や天国のためでなく)として発表した。作曲面で貢献しているニコラ・ピオヴァーニは、後に映画 La vita è bella(ライフ・イズ・ビューティフル)のサントラでアカデミー作曲賞を受賞した。作詩はセカンドアルバムで Ballata degli impiccati(絞首刑者たちのバラッド)を共作した、ジュゼッペ・ベンティヴォーリオとペンを共にしている。プロデュースはロベルト・ダネと、アイデアを提供したセルジオ・バルドッティが共同で行っている。

音楽的には多様なジャンルを織り交ぜつつ、それぞれの物語に相応しい彩を加えていて、映画音楽あるいは舞台音楽的な華やかさを演出している。個々の曲の出来映えも素晴らしいが、トータルな流れで聴いても楽しめるので、コンセプトアルバムとしても成功している。前作より音楽性の幅が広がり、芸術的センスさえ感じさせる完成度の高さも魅力。ゲストとしてニュー・トロルズのヴィットリオ・デ・スカルツィが、デ・アンドレの誘いで参加しアコースティックギターをプレイ。またヴィオラ奏者のディーノ・アショッラ(後にイタリア弦楽四重奏団に加入)も参加している。幻想的なプログレっぽいジャケットのアートワークは、女性アーティストのディアナ・ガレットの作品で、これまでにない趣向で新鮮。初期を代表する傑作のひとつ。

スプーン河沿いにある村の丘の上には墓地がある。プロローグの La collina(丘)で「みんなこの丘に眠っている」と歌われ、これに続く本編は8曲で構成されている。イタリア百科事典を記憶する男 Un matto: dietro ogni scemo c'è un villaggio(狂人:あらゆる愚か者の背後に村あり)、裁判官になって復讐する小男 Un giudice(裁判官)、冒涜的な無神論者 Un blasfemo: dietro ogni blasfemo c'è un giardino incantato(冒涜者:あらゆる冒涜者の背後に魅惑の園あり)、ファーストキスで昇天した心臓発作男 Un malato di cuore(心臓病患者)、無報酬で貧者を治療する男 Un medico(医師)、化学に身を捧げ実験で死んだ男 Un chimico(化学者)、特殊なメガネを創る眼鏡屋 Un ottico(眼鏡技師)、町の人を楽しませた楽器奏者 Il suonatore Jones(演奏家のジョンズ)。なおアルバム・タイトルは、プロローグで語られるこの演奏家について述べた一節から取られている。

Non al denaro non all'amore né al cielo

Non al denaro
non all'amore né al cielo

(1971 Produttori Associati PA/LPS 40)

  1. La collina
  2. Un matto (dietro ogni scemo c'è un villaggio)
  3. Un giudice
  4. Un blasfemo (dietro ogni blasfemo c'è un giardino incantato)
  5. Un malato di cuore
  6. Un medico
  7. Un chimico
  8. Un ottico
  9. Il suonatore Jones

ある労働者の孤独な革命

ファブリツィオ・デ・アンドレの通算6枚目、1973年10月に発表された Storia di un impiegato(ある労働者の物語)は、68年にフランスで勃発しイタリアにも伝播した、学生運動に端を発する民衆の反体制運動をテーマにしたコンセプトアルバム。諸作中で最も政治色の強い社会派作品で、パリ五月革命における学生運動のプロテストソングに触発されて、たった独りで革命家になろうと決意した、あるホワイトカラー労働者の物語。デ・アンドレは一連の出来事をポエティックに解釈してもらうことを望んで制作したが、結局はポリティカルな作品と見なされてしまい、批評家からの評価も散々だった。デ・アンドレはリリース後にアルバムを燃やしたくなったと発言している。

製作チームは前作と同じでプロデュースはロベルト・ダネ、音楽はデ・アンドレとニコラ・ピオヴァーニの共作、作詩はジュゼッペ・ベンティヴォーリオとの共作だ。一般的な評価と人気は前作に一歩譲るが、本作は全体を貫く重厚なムードと、70年代的で硬派なサウンドが非常に格好良い。学生運動とは無縁の世代には、この作品のテーマが訴えていることを完全に理解するのは困難だが、デ・アンドレの渋く深みのあるヴォーカルと、映像的な音楽が放つ強力なインパクトは聴く者に痛切に迫って来る。

口笛が導く厳かな Introduzione(序奏)に続く、ディラン風の Canzone del maggio(5月の歌)が労働者が耳にした曲で、原曲はフランス人歌手ドミニク・グランジュのプロテストソング。デ・アンドレの出版に際し、彼女は著作権を求めることはなかった。この歌に心を動かされた労働者は、単身で権力に立ち向かう決心をして夢を見始める。それは La bomba in testa(空想の爆弾)を、権力の象徴である Al ballo mascherato(仮面舞踏会)に投げ込み、権力者から偽善のマスクを剥がす夢。Sogno numero due(第二の夢想)で彼は逮捕されるが、その行動は裁判で正当化されて自由の身に。

Canzone del padre(父の歌)で勇気づけられた労働者は夢の実現を試みようと決意する。しかしそれは失敗に終わる。名曲 Il bombarolo(爆弾犯)で労働者が放った爆弾は、標的の国会ではなくマガジン・キオスクを爆破した。しかし労働者の心を打ち砕いたのは、新聞の表紙に彼の元を去ると決めた婚約者の写真を見た時だった。そして Verranno a chiederti del nostro amore(私達の愛を確かめに来るだろう)は、獄中の労働者が婚約者へ宛てた別れのラヴソング。最後にリプリーズ風の Nella mia ora di libertà(私の自由な時間)で、権力に立ち向かい物事を変革するには、パリの学生の如く同胞と協力する必要があることを労働者は悟るのだった。

Storia di un impiegato

Storia di un impiegato

(1973 Produttori Associati PA/LP 49)

  1. Introduzione
  2. Canzone del maggio
  3. La bomba in testa
  4. Al ballo mascherato
  5. Sogno numero due
  6. Canzone del padre
  7. Il bombarolo
  8. Verranno a chiederti del nostro amore
  9. Nella mia ora di libertà

原点に帰った味わい深い歌集

単に Canzoni(歌集)と題された、1974年4月発売のファブリツィオ・デ・アンドレ通算7作目は、サードと同スタイルによる繋ぎ的なアルバムになった。内容は初期シングルの再録ヴァージョンを含む既発表の8曲と、新曲3曲の全11曲で構成されている。アレンジとオーケストレイションには再びジャンピエロ・レヴェルベリを起用。70年代に入って3作品連続で渾身のコンセプトアルバムを発表してきたが、本作は原点回帰のリセットなのか、初期とほぼ似たような雰囲気のフォーク調で素朴なデ・アンドレ・スタイルに戻った。しかしこれがなかなか味わい深い歌集に仕上がっている。

主賓は何といっても冒頭を飾るボブ・ディランの Desolation row(廃墟の街)を、高い完成度で改編した Via della povertà(不毛の街道)だろう。イタリア語独特の節回しも魅力の名カヴァーで、音作りや歌詞を原曲と比較して聴くのも興味深い。デ・アンドレはディランを「ポエット=詩人でありプロフェット=預言者である」と考え、歌詞のなかには文学的価値と、聖書からの多様な示唆がある点に留意したようだ。この編曲に協力したのは、ディラン研究家でもあるカンタウトーレのフランチェスコ・デ・グレゴーリで、彼とは次作でがっちりタッグを組むことになる。

残りの新曲はジョルジュ・ブラッサンスのイタリア語編曲版。フランスの詩人アントワーヌ・ポルの詩に曲を付けた Le passanti(通りすがり)と、Morire per delle idee(信条のために死す)で、この曲はブラッサンス自身の Les deux oncles(二人の叔父)に対する返歌でもある。加えて65年にイタリア語に改編しシングルで発表していた、Delitto di paese(村の犯罪)のリアレンジ版も収録しており、初期の頃から一貫したブラッサンスへの思い入れの強さが伺える。Suzanne(スザンヌ)と Giovanna d'Arco(ジャンヌ・ダルク)はレナード・コーエンのイタリア語版で、72年にシングル・リリースしていたもの。共に原曲の雰囲気を殺さずに編曲し、デ・アンドレ節も十分に活かしている。

オリジナル曲で有名なのが66年のシングル La canzone dell'amore perduto(失恋の歌)で、テレマンのトランペット協奏曲からアダージョ旋律を引用、デ・アンドレの最初の妻プーニとの関係を女性視点で歌う。そのB面曲が La ballata dell'amore cieco(盲目の愛のバラッド)で、フランス人作家ジャン・リシュパンの詩を元案とする退廃的な作品。また故郷ジェノヴァの猥雑な裏路地のことを歌った La città vecchia(古い町)も初期の名曲だ。Fila la lana(糸紡ぎ)はフランスの歌手ジャック・ドゥエの代表曲で、ロベール・マルシー作品のイタリア語版。最後の Valzer per un amore(愛のワルツ)は、デ・アンドレが生まれた時にレコードで流れていた曲 Valzer campestre(カントリー・ワルツ)に詩を付けたもので、作曲はパレルモ出身のジーノ・マリヌッツィ。

Canzoni

Canzoni

(1974 Produttori Associati PA/LP 52)

  1. Via della povertà
  2. Le passanti
  3. Fila la lana
  4. La ballata dell'amore cieco (o della vanità)
  5. Suzanne
  6. Morire per delle idee
  7. La canzone dell'amore perduto
  8. La città vecchia
  9. Giovanna d'Arco
  10. Delitto di paese
  11. Valzer per un amore (o campestre)

抒情味あふれる詩的な作品

1970年代中頃はファブリツィオ・デ・アンドレにとって人生の転換期にあった。最初の妻エンリカ・リニョンと別れ、フォークシンガーのドリ・ゲッツィと交際を開始した。二人はサルデーニャ島北部テンピオ・パウザーニア近郊の田園地帯に農場を買って移住し、77年には娘のルイザ・ヴィットーリアが誕生、89年12月に結婚した。またテレビ番組以外あまり公に姿を見せなかったが、75年3月よりラ・ブッソラ(セルジオ・ベルナルディーニ主催のナイトクラブ)への出演を開始している。そして同じ年にリリースしたのが、デ・アンドレ通算8枚目のアルバム Volume 8 である。

本作にはローマ生まれのカンタウトーレ、フランチェスコ・デ・グレゴーリが全面参加している。デ・アンドレは彼のライヴを観て気に入りサルデーニャの自宅に招き、約3カ月間一緒に過ごし曲作りを行った。その成果がこの作品として結実している。デ・グレゴーリは、エレガントな詩を書くことから「カンタウトーレのプリンス」と呼ばれており、ディランなどの英語歌詞の研究と翻訳でも知られている。デ・グレゴーリの影響力が強く現れ過ぎている点や、詩の内容が抽象的で分かり辛いという理由から、批評家受けはあまり良くなかったという。確かに難解で地味な印象は否めないが、作詩スタイルの進化も伴って、全体的に抒情味あふれるポエティックな作品に仕上がっている。また自叙伝的な曲を含む辺りにはプライヴェートな趣きも感じさせる。アレンジにはデ・アンドレが偉大なるミュージシャンと認める、スコットランド系のトニー・ミムズを起用。

とりわけ幕開けとラストに配置された2曲は、地味ながらもデ・アンドレを代表する素晴らしい出来栄えの作品だ。デ・グレゴーリとの共作 La cattiva strada(悪路)は、文字通りの意味ではなく、やむなく正道を踏み外す人々の姿を描いた名曲。またあるパーティで不愉快な思いをし、失望と怒りのなか酔っ払って内的独白を試みたダークな作品 Amico fragile(脆い友)は、ステージで欠かせない重要なレパートリでもある。この曲と再婚前に出会った女性ロベルタとの関係を歌った Giugno'73(73年6月)は、デ・アンドレが単独で作った最後の作品になった。また唯一のカヴァーで、レナード・コーエンのイタリア語編曲版 Nancy(ナンシー:原曲は Seems so long ago, Nancy)は、若くして自尽した実在する女性のことを歌った美曲。

デ・グレゴーリとのコラボは続く。素朴なメロディが魅力の Oceano(海)は、息子クリスティアーノに贈った心温まる優しい曲。Dolce Luna(スウィート・ムーン:鯨の名前)は、ディラン・トマスの詩の引用(long-legged bait)を含め、ボブ・ディランを意識したような諷喩的な歌詞が印象的だ。Canzone per l'estate(夏の歌)は、社会からの追放者への共感やアナーキズムへの憧れ、ブルジョワ層に生れ育ったことに対する葛藤などを描写した自叙伝的な内容。デ・グレゴーリ単独作の Le storie di ieri(昨日の物語)は、70年代イタリアのファシズムの動向をテーマにした社会派ソングで、本人ヴァージョンは Rimmel(リンメル:デ・グレゴーリの75年作)で聴くことができる。

Volume 8

Volume 8

(1975 Produttori Associati PA/LP 54)

  1. La cattiva strada
  2. Oceano
  3. Nancy
  4. Le storie di ieri
  5. Giugno '73
  6. Dolce Luna
  7. Canzone per l'estate
  8. Amico fragile

社会派ながらもポップ路線の佳作

プロドゥットーリ・アソチャーティの倒産により、ディスキ・リコルディ(現在はソニー・ミュージック傘下)がカタログを受け継ぎ、1978年5月にファブリツィオ・デ・アンドレの第9作目 Rimini(リミニ)がリリースされた。ヴェローナ出身の若きミュージシャンのマッシーモ・ブボラが、新たな曲作りのパートナーとして参加、前作に続いてトニー・ミムズがアレンジを担当している。これまでの諸作と比べて音楽的には最もロックやポップスの要素が強く現れており、明朗かつとても聴きやすいサウンドが展開されている。またエスニック音楽を取り入れている点は、次作以降のデ・アンドレの音楽的な方向性を示唆しており、将来の傑作アルバムへの布石になっている。しかしながら歌詞に関しては、例にもれず社会派な内容の曲が半数を占めており、当時の時代背景を知らなければ英語訳詞を読んでもその真意は理解し難い。76~77年のイタリアは、以前のコンセプトアルバムのテーマでもあった68年革命に端を発し、アウトノミア運動に代表される左翼運動や女性解放運動、左右の武装勢力によるテロが頻発する混乱期にあった。

アルバムのエンブレムとして冒頭で歌われるタイトル曲 Rimini(リミニ)は、アドリア海沿岸にあるイタリア有数のリゾート地。人々が日常の喧騒をしばし忘れて優雅なひと時を過ごす場所だ。しかしこの曲は当時イタリアで禁じられていた中絶問題を扱っており、登場する老婆の不思議な昔話のなかで、意思に反して子供を堕ろしたエピソードが語られる。Coda di lupo(オオカミの尾)もやはり社会派ソングで、メトロポリタンインディアン(都市エコ派)を含む、アウトノミア運動に代表される一連の抗議行動の失敗と解散が背景にある。またイタリアでは男性の名前である Andrea(アンドレーア)は二人のゲイの話で、反戦ソングであると共に同性愛者の団結をテーマにしている。Parlando del naufragio della London Valour(ロンドン・ヴァーラ号の難破を語る)は、70年のジェノヴァ港における英国貨物船の実際の事故を舞台に、それを見に来る野次馬に焦点を当て、これに当時の社会的・政治的な出来事を絡めて語られる。

これら以外は政治色の薄いわりと楽観的な曲が、緩衝材の如く散りばめられている。古い遊び歌をベースにした Volta la carta(カルタめくり)は、アメリカ人パイロットに恋をした若い女の話を、映画やポップスから借用した他愛のないストーリーに織り込んだ。Sally(サリー)も教訓を含んだ英国の子供歌 My mother said that I never should を元ネタとして、小説 Cien Años de Soledad(百年の孤独:Gガルシア=マルケス著)や、映画 El Topo(エル・トポ:Aホドロフスキ作)からの引用を加えている。Zirichiltaggia(トカゲの巣穴)はある兄弟の遺産相続争いを対話形式にして、サルデーニャ北東部のガッルーラ方言で歌われる民族色豊かな曲。Avventura a Durango(デュランゴの冒険)は、ボブ・ディランのイタリア語編曲第二弾で、スパニッシュ・コーラス部分はナポリ方言で歌われている。デ・アンドレとブボラは当時、Desire(欲望:同曲を収録したディランの76年作)を気に入ってよく聴いたという。このほかアナログ盤両面ラストにインスト曲 Tema di Rimini(リミニのテーマ)と Folaghe(オオバン:黒い水鳥)が収録されている。

Rimini

Rimini

(1978 Ricordi SMRL 6221)

  1. Rimini
  2. Volta la carta
  3. Coda di lupo
  4. Andrea
  5. Tema di Rimini
  6. Avventura a Durango
  7. Sally
  8. Zirichiltaggia
  9. Parlando del naufragio della London Valour
  10. Folaghe

PFMのアレンジによる名作ライヴ

あまり積極的にステージに立つタイプではなかったファブリツィオ・デ・アンドレが、本格的なライヴパフォーマンスを開始したのは、1975年のラ・ブッソラへの出演以降である。その頃のステージを含め晩年にかけて全8ツアーのライヴ音源が、16枚組のボックスセット I concerti(コンサート全集)として、2012年に発掘リリースされている。しかしデ・アンドレのライヴ盤で最も有名かつ最初に聴くべきは、In concerto: Arrangiamenti PFM(イン・コンサート:PFMアレンジ編)だろう。

タイトル通りこのライヴのアレンジとバックを務めたのが、イタリアン・プログレ界の雄PFM(プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)である。デ・アンドレ初の公式ライヴ盤で、79年1月のフィレンツェとボローニャのステージ音源からセレクトしたもの。同じ年に発表された第一集が好評だったので、翌年に同ステージの未発表音源をまとめた第二集がリリースされた。なおこの音源は2007年にリミックスとリマスターが施され、2枚組デジパック仕様の新装ジャケットにて再登場、音質も改善されている。さらにこの2007年版の音源は先のボックスセットにも収められ、ボーナストラックとしてローマのパラエウルにおけるライヴが追加された。

デ・アンドレの親友フランツ・ディ・チョッチョ(PFMのドラマー)によると、サルデーニャにおけるPFMのライヴを観に来たデ・アンドレに、一緒にライヴアルバムを作ることを提案した。どちらかというと内向的な性格のデ・アンドレは、当初はライヴに乗り気ではなく躊躇したようだが、PFMが自身の曲を新しくアレンジしたものを聴くと大いに気に入り、一緒にツアーをやることを承諾したという。PFMによるロック色の強いパワフルな伴奏と、デ・アンドレが熱く歌う姿に聴衆は聴き入り、このツアーは大成功に終わった。デ・アンドレとの共演でディ・チョッチョは、言葉が音楽と同じくらい重要だということに気付かされたという。

収録曲は前年にリリースされた Rimini(リミニ)からの選曲が両盤併せて6曲と最も多い。また Bocca di rosa(薔薇の口)や La canzone di Marinella(マリネッラの歌)など初期の代表曲や、アルバム未収録の名作シングル Il pescatore(漁師)、ステージで定番の Amico fragile(脆い友)のほか、かつてPFMメンバーがバックを務めた La Buona Novella(朗報)からも2曲選ばれている。メンバーはフランツ・ディ・チョッチョ、フランコ・ムッシーダ(ギター)、パトリック・ジヴァス(ベース)、フラヴィオ・プレーモリ(キーボード)、ルチオ・ファブリ(ヴァイオリン)というラインナップ。これにセッションマンのロベルト・コロンボ(キーボード)が加わっている。なお後にデ・アンドレと深く関わることになるマウロ・パガーニは、すでにPFMを脱退しソロ活動を行っていた。

In concerto: Arrangiamenti PFM

In concerto:
Arrangiamenti PFM

(1979 Ricordi SMRL 6344)

Bocca di rosa / Andrea / Giugno '73 / Un giudice / La guerra di Piero / Il pescatore / Zirichiltaggia / La canzone di Marinella / Volta la carta / Amico fragile

In concerto: Arrangiamenti PFM Vol.2º

In concerto:
Arrangiamenti PFM Vol.2º

(1980 Ricordi ORL 8431)

Avventura a Durango / Presentazione / Sally / Verranno a chiederti del nostro amore / Rimini / Via del Campo / Maria nella bottega del falegname / Il testamento di Tito

先住民の文化に想いを馳せた力作

1979年8月にファブリツィオ・デ・アンドレと妻のドリ・ゲッツィは、地元のサルデーニャで有名な反徒集団(アノニマ・サルダ)により拉致され、同島パッターダのレルノ山に監禁された。同年末に5億リラの身代金と引き換えに無事解放されたが、約4カ月にわたり囚われの身になるという苦難を経験した。80年には自身のレーベルFADOを設立、テンピ・ドゥーリ(息子クリスティアーノのバンド)、マッシーモ・ブボラ、ドリらのアルバムを制作している。そして81年7月、自らの名前を冠した通し番号すらない10作目のアルバム、Fabrizio De André をリリースした。

アメリカ人の画家フレデリック・レミントンによるジャケットと、アルバムの内容から L'indiano(インディアーノ)の俗称を持つ本作では、前作に続きマッシーモ・ブボラと曲作りを共にしている。二人で19世紀のアメリカ先住民の文化を考察した結果、歴史的に征服が繰り返されてきたサルデーニャ文化との間に類似性を見出し、これをメインテーマに据えてアルバムを作り上げた。両者の共通点、それは征服者により駆逐された先住民の文化であり、彼らの苦しみと悲しみであり、求められる自由と権利だろう。アレンジはマーク・ハリスとオスカー・プルデンテ(カンタウトーレとして有名)が担当、クリスティアーノもヴァイオリンで参加している。

冒頭、サルデーニャの猪猟の効果音が、アメリカ先住民の雄たけびと征服者の発砲音を想起させる。ブルーズ風のギターとハーモニカによるアメリカンな作風で、先住民が Quello che non ho(私が持っていない物)を列挙し、征服者の実利主義を批判する。サルデーニャの羊飼いの生活を題材にした牧歌的な Canto del servo pastore(羊飼い使用人の歌)では、自然を愛でつつ自然に慄き、孤独に生きる人の姿が描かれている。Fiume Sand Creek(サンドクリークの川)で猪猟の効果音が再び登場。南北戦争の「サンドクリークの悲劇」を取り扱っており、米軍が無抵抗の先住民居住地で行った虐殺では、女性や子供までもが無差別に殺された。サルデーニャ伝承歌から詩を引用した Ave Maria(アヴェ・マリア)は、デ・アンドレがコーラスに徹しマーク・ハリスがリードを歌う。スケール感のあるプログレッシヴな作風、かつ声質が全く違うので違和感を覚えるが、曲のクオリティは非常に高くデ・アンドレ自身が気に入っている作品。

Hotel Supramonte(ホテル・スプラモンテ)は、アコースティックギターの弾き語りに、甘美なヴァイオリン旋律が重なる哀愁に満ちた美曲で、二人の作者それぞれの想い出を織り交ぜている。ブボラは恋人と過ごした休暇を、デ・アンドレは監禁された時の体験を。デ・アンドレを捕えた反逆者は常に身を隠し孤独に生きている。そんな束縛された悲しい人生が次の曲で、Franziska(フランツィースカ)という女性の姿に重ねて歌われる。曲調は明るくトロピカルムードさえ漂う、ちょっと陽気なラテンナンバー。Se ti tagliassero a pezzetti(君を粉々に切り刻んでも)は、アメリカ先住民の讃美歌から着想を得た自由と権利を求める曲で、「たとえ彼らが君を粉々に切り刻んだとしても、風が再びそれを集めるだろう」と歌われる。Verdi pascoli(緑の牧草地)も、アメリカ先住民のリチュアルダンスにインスパイアされた曲。軽快なノリの牧歌的な曲調ではあるが、その詩には民衆が自由と権利を取り戻さんとする願いが込められているようだ。

L'indiano

Fabrizio De André (L'indiano)

(1981 Ricordi SMRL 6281)

  1. Quello che non ho
  2. Canto del servo pastore
  3. Fiume Sand Creek
  4. Ave Maria
  5. Hotel Supramonte
  6. Franziska
  7. Se ti tagliassero a pezzetti
  8. Verdi pascoli

地中海を音楽で彩ったマスターピース

全タイトルのうち本国発売と同じ年に国内盤が制作されたのは、恐らく1984年3月発表の Crêuza de mä(地中海への道程)だけだろう。日本のキングレコードからリリースされたアナログ盤(Seven Seas K28P-477)には、意訳ながらアルバムの雰囲気を絶妙に表現した「地中海への道程」という邦題が付けられ、日本語対訳としっかりした解説まで掲載したライナーが同封されている。地中海音楽の魅力を詰め込んだ本作は、間違いなくファブリツィオ・デ・アンドレを代表する傑作アルバムである。

サウンド面における強力なサポートは元PFMのマウロ・パガーニで、彼は本作に先駆けて地中海諸地域の音楽を研究し、その成果を78年のソロアルバム Mauro Pagani(地中海の伝説)にまとめて世に問うた。そして多様な民族楽器(ウード、シャハナイ、ブズーキ、ドゥンベック、バグラマなど)を本作にも導入し、エスニックな音楽要素とロックを巧みに融合させた独特のサウンドを生み出した。デ・アンドレはかつて「音楽にはカタルシス効果があるべきだ。しかし現在の音楽は興奮剤でしかなく、無気力的でさえある」と語ったことがある。本作を聴くと確かに何らかの浄化作用的な効果が感じられるが、その要因は音楽や詩のなかに生き生きとした感情があり、作品自体が何かを訴える力を持っているからだろう。そういう傑作は数多ある音盤のなかに稀に存在するものだ。なおデ・アンドレは本作の歌詞をすべてジェノヴァ方言で歌っており、ライナーにイタリア標準語の対訳が載せられている。

南欧を想像できてしまう秀逸なデザインのジャケットと、異国情緒あふれるタイトル曲 Crêuza de mä(海への小路)を聴けば、気分はすでに地中海への旅に出発している。ジェノヴァの港町に戻ってきた船乗りたちを描いた歌で、彼らは故郷の風景を懐かしみながら海から続く石塀に囲まれた小路を歩む。Jamín-a(ジャミーナ:アラブの女性名)はどこか異国の港町で待つエロティックな娼婦だ。船乗りは危険な航海の合間に立ち寄り、ひとときの休息を情熱的な彼女の官能美に求めるのだろう。ベイルートの南にある地中海沿いの古い港町 Sidún(シドン=サイダ)。曲が語る時代はレバノン内戦の頃で、シドンはイスラエルの攻撃により破壊された。曲の最後に歌われる piccola morte(小さな死)は、登場する少年の死ではなく小国の文化の終焉を隠喩している。

Sinàn Capudàn Pascià(シナン・カプタン・パシャ)は、16世紀末に実在したシピオーネ・チカーラという名の、ジェノヴァ出身の水夫の話。彼は若い頃にオスマン帝国海軍との戦いで捕虜となるが、その後イェニチェリ(キリスト教徒の衛兵隊)に所属し、さらに出世を重ねて海軍総督=カプタン・パシャの称号を得た。Â pittima(鬱陶しい奴)とは取り立て屋のことで、古い時代のジェノヴァで赤い服を着て、公衆の面前で債務者から執拗に取り立てを行った。この曲はそんな姿を同情的な視点で描いている。16~19世紀のジェノヴァの Â duménega(日曜日)には、娼婦たちが堂々と街中を散策して客を取っていた。彼女らの仕事は港町の発展にとって重要だったという。そして愛する家族を故郷に残し、再び海へと旅立つ船乗りの歌、D'ä mê riva(私の海岸から)でアルバムは静かに終わる。なおパガーニはリリース20周年にあたる2004年、デ・アンドレへの追悼を兼ねて、本作に数曲を追加して再アレンジしたヴァージョンを発表している。

Crêuza de mä

Crêuza de mä

(1984 Ricordi SMRL 6308)

  1. Crêuza de mä
  2. Jamín-a
  3. Sidún
  4. Sinàn Capudàn Pascià
  5. Â pittima
  6. Â duménega
  7. D'ä mê riva

ジャンルを超えた音楽と社会派の詩

途方もない成功を収めた前作から6年後の1990年9月にリリースされた、ファブリツィオ・デ・アンドレ通算12枚目のアルバム。この間にもデ・アンドレとマウロ・パガーニは、幾つかのコラボレイションを試みたがリリースまでに至らなかったようだ。難産だった本作 Le nuvole(雲)においてデ・アンドレはほとんどの詩を書き、パガーニは音楽面で大きく貢献をしている。このスタイルは前作と同様だが、本作は地中海音楽だけに集中することなく、クラシックや伝承歌などを含めたジャンルを超えた音楽を大胆に取り入れることに成功している。また曲作りに関して、かつてのパートナーでもあるマッシーモ・ブボラが1曲、次作でタッグを組むイヴァーノ・フォサーティが、デ・アンドレと同郷のジェノヴァに因んだ2曲に参加している。

老婆と乙女の朗唱による Le nuvole(雲)は、古代アテナイの詩人アリストパネスの同名の喜劇から着想を得た曲。二人の女性は母なる大地の象徴、雲は傲慢な権力の肖像として描かれている。オペラブッファで歌われヨーデルで終わる Ottocento(1800年代)は、19世紀スタイルの滑稽な歌によって、金や物に支配された消費社会や利己主義を皮肉っている。作曲にブボラが加わった Don Raffaè(ドン・ラファエ)は、犯罪組織カモッラの首領ラファエレ・クートロをモデルにした曲で、長い監獄生活のなかで組織を作りあげ統治したカリスマ的人物。獄中でエスプレッソを楽しむコーラス部分は、ドメニコ・モドゥーニョの 'O ccafe(珈琲賛歌)に着想を得ている。恐ろし気なタイトルと不気味な音楽による La domenica delle salme(死体の日曜)は、本作中で最も辛辣な社会派ソング。ベルリンの壁崩壊やソ連邦瓦解の影響、ネオナチ台頭などに絡んで、イタリアで発生した出来事や犯罪について歌われているようだ。

フォサーティが作曲に加わったジェノヴァ方言による Mégu megún(ドクタードクター)は、何年も人と接することなく引き籠ってる人物の歌。男は医者のアドヴァイスに従い社会に出てみるが、再び家に戻り夢を求めて眠りにつく。La nova gelosia(新しい鎧戸)は18世紀のナポリの伝承歌をアレンジしたもの。gelosia は嫉妬を意味するが、かつては「愛する女を男たちの嫉妬の目から遮るもの」として鎧戸を指す言葉にも使われていた。フォサーティ参加の2曲目 'Â çímma(チーマ)は、仔牛の肉に野菜などの詰め物をして煮込んだ郷土料理。このジェノヴァのご当地グルメの楽しみ方を、ジェノヴァ方言で解説する。Monti di Mola(モーラの山)は、現在のサルデーニャ北部のエメラルド海岸(コスタ・ズメラルダ)を指す。ガッルーラ方言で歌われ、官僚化・標準化された現代社会において個々の夢がかなうことの難しさを隠喩する。

Le nuvole

Le nuvole

(1990 Fonit Cetra TLP 260/Ricordi STVL 6444)

  1. Le nuvole
  2. Ottocento
  3. Don Raffaè
  4. La domenica delle salme
  5. Mégu megún
  6. La nova gelosia
  7. 'Â çímma
  8. Monti di Mola

「地中海への道程」をライヴで再現

1991 concerti(コンサート 1991)は、PFMとのライヴに続くファブリツィオ・デ・アンドレ3枚目の公式ライヴアルバム。ジェノヴァ、トリノ、ピサ、ノヴァーラなどイタリア各地で行われた、1991年のステージを2枚のディスクに収録している。90年リリースの新作 Le nuvole(雲)と、代表作の Crêuza de mä(地中海への道程)を中心に構成されており、特に後者からは6曲を収録しスタジオ盤をほぼ再現。タイトル曲での観客の盛り上りが、このアルバムの人気の高さを証明している。そしてこの2作には欠かせない存在のマウロ・パガーニが、プロデューサーとツアーメンバーの要として名を連ねている。また同年にリリースされたパガーニのソロアルバム Passa la bellezza(過ぎ去る美)には、デ・アンドレがヴォーカルで参加した Davvero davvero(リアリーリアリー)が収録されている。曲はパガーニとマッシーモ・ブボラの共作。

そのほかの収録曲は、81年作の通称 L'indiano(インディアーノ)から、Hotel Supramonte(ホテル・スプラモンテ)ほかベストセレクションの3曲、初期の名作 Il testamento di Tito(テトスの遺言)と、La canzone dell'amore perduto(失恋の歌)、名刺代わりの La canzone di Marinella(マリネッラの歌)、ジョルジュ・ブラッサンスの Il gorilla(ゴリラ)など、なかなか楽しめる充実した内容。演奏はPFMライヴのような斬新なアレンジによる意外性はあまりなく、どちらかというとスタジオ盤の完全再現に近い忠実なスタイルだ。しかしデ・アンドレの歌とバックの演奏クオリティは非常に高く、絶頂期の代表作をもう一度ライヴで楽しめるのがとにかく嬉しい。またボックスセット I concerti(コンサート全集)には、同じツアーからの別音源を収録している。

なお前作 Le nuvole(雲)と本作は、イタリアの老舗レーベルでオザンナやニュー・トロルズなどを輩出している、フォニット・チェトラ(80年代以降リコルディ社が経営支援)からリリースされた。

1991 concerti

1991 concerti

(1991 Fonit Cetra TAL 1003)

Don Raffaè / La domenica delle salme / Fiume Sand Creek / Hotel Supramonte / Se ti tagliassero a pezzetti / Il gorilla / La canzone dell'amore perduto / Il testamento di Tito / La canzone di Marinella / Crêuza de mä / Jamín-a / Sidún / Mégu Megún / 'Â pittima / Â duménega / 'Â çímma / Sinàn Capudàn Pascià / Le nuvole

孤独なるものへの哀憐と祈り

ファブリツィオ・デ・アンドレが亡くなる4年前、1996年9月にリリースされた Anime salve(救われし魂)は、13作目にして最後のオリジナル・アルバム。中東や北アフリカを含む地中海沿岸、バルカン、ラテンアメリカなどの民族音楽を積極的に取り込み、ロックやポップスとの融合を試みている。その結果、代表作 Crêuza de mä(地中海への道程)と同等かそれ以上に精度の高い音楽として結実、最終作に相応しい傑作となった。同郷ジェノヴァ出身のカンタウトーレで、元デリリウムのイヴァーノ・フォサーティと曲作りを共にし、歌詞においては人間や民衆の自由について論じると共に、社会から疎外された人々や、孤立する少数派の民族が陥っている孤独に対して哀憐の情が込められている。また本作はイタリア最大の日刊紙ラ・レプッブリカの読者により、97年のベストアルバムに選出され、批評家からはベストアーティストに選ばれるなど、非常に高い評価を獲得している。

Prinçesa(プリンセッサ)は性同一性障害で苦しみ女性として生きる道を選んだ、ブラジル出身のフェルナンダ・ファリアスのことを歌っている。プリンセッサという源氏名で娼婦として生計を立てていたが、イタリアで自分の稼ぎを横領した娼家の女将を刺し殺人未遂で逮捕された。その後彼女は本国へ強制送還され、完全な性転換を果たせぬまま自ら命を絶った。Khorakhané(コーラカーネ)は主にバルカン半島に住む流浪民ムスリム・ロマの自称名で、「コーランを読む人」の意味。a forza di essere vento(風であることにより) のサブタイトル通り、しばしば風の民と呼ばれる彼らの生活について歌われており、後半はドリ・ゲッツィがロマ語によるソロを披露する。

デ・アンドレとフォサーティのデュエットによる Anime salve(救われし魂)は、語源的に「孤独なる精霊」の意味があるという。孤独を強いられている人々や民族に対し、シンパシーを込めて歌われる。Dolcenera(ドルチェネラ)には、ジェノヴァで洪水に巻き込まれた愛する人を想う男が登場する。生きるに必要な水をドルチェ(甘い)と呼び、制御の効かない洪水をネロ(黒)として題している。Le acciughe fanno il pallone(群れなすイワシ)は孤独で貧しい漁師の歌。息子のクリスティアーノがアレンジを担当しており、終盤にシャハナイやトゥンバオなどの民族楽器による、中東から南米に到るマルチカルチャーな演奏が繰り広げられる。Disamistade(血のフェーデ)は二族間による血で血を洗う報復行動を歌った曲で、サルデーニャの地方では近年まで行われていたようだ。

フォサーティがヴォーカルで参加した Â cúmba(鳩)は愛する人を鳩に例え、彼女の父に結婚の許しを請う対話式の長閑な歌。日本の鼓童(プロ和太鼓集団)により録音された音源サンプルを使っている。Ho visto Nina volare(跳ねるニーナを見た)はギター伴奏によるシンプルな曲。ニーナはデ・アンドレの子供時代の遊び友達のことで、若者が望む親からの独立と未知への恐れを描いている。Smisurata preghiera(終わりなき祈り)はコロンビアの作家アルバロ・ムティスの諸作にインスパイアされ、曲中の随所に彼の言葉が織り込まれている。タイトル曲と同じく音楽面はフォサーティが多くを担っており、PFMのフランコ・ムッシーダがギターを弾いている。本作に登場したメインストリームから孤立した人々、貧しき者たち、社会的マイノリティ、権力に対し抵抗する人々へ、永遠の祈りを捧げながらアルバムは幕を閉じる。

Anime salve

Anime salve

(1996 BMG-Ricordi STVL 392351)

  1. Prinçesa
  2. Khorakhané (A forza di essere vento)
  3. Anime salve
  4. Dolcenera
  5. Le acciughe fanno il pallone
  6. Disamistade
  7. Â cúmba
  8. Ho visto Nina volare
  9. Smisurata preghiera

ファブリツィオからの最後の贈物

ファブリツィオ・デ・アンドレ本人の選曲による1997年11月リリースの編集盤で、生前に発表した最後のアルバムとなった。タイトルの Mi innamoravo di tutto(全てに恋をして)は、最初の曲 Coda di lupo(オオカミの尾)の歌詞の一節から取られている。初期を代表する曲 Bocca di rosa(薔薇の口)以外は、主に70年代中半以降のアルバムから選曲しており、Storia di un impiegato(1973年作)から名曲 Il bombarolo(爆弾犯)のほか、マーク・ハリスがリードヴォーカルを歌う Ave maria(アヴェ・マリア)を含め、Volume 8(1975年作)、Rimini(1978年作)、L'Indiano(1981年作)からは各2曲をセレクト。また代表作の Crêuza de mä(1984年作)からは Jamín-a(ジャミーナ)の1曲のみ。そして初期の名曲 La canzone dell'amore perduto(失恋の歌)は、1991 concerti(1991年作)からのライヴ・ヴァージョンを収録している。

最も注目すべき曲は、La canzone di Marinella(マリネッラの歌)の新ヴァージョンの収録で、デ・アンドレとイタリアを代表する歌姫ミーナによる、ジャズテイストの素晴らしいデュエットを聴くことができる。アレンジとキーボードをミーナの息子マッシミリア―ノ・パーリが担当している。客に殺された身寄りのない娼婦(マリア・ボクッツィ殺害事件)を哀れみ、デ・アンドレが追悼の気持ちを込めて書いたもので、ミーナは67年にこの曲をヒットさせていた。この時の成功は、デ・アンドレの名を世間に知らしめることにも一役買ったという経緯もあり、このたびデュエットが実現。アルバムのライナーにはデ・アンドレの署名入りで彼女への謝辞が掲載されている。そしてこの曲はデ・アンドレの最後のスタジオ録音作品になってしまった。

Mi innamoravo di tutto

Mi innamoravo di tutto

(1997 BMG-Ricordi 74321533042)

Coda di lupo / La canzone di Marinella / Sally / La cattiva strada / Canto del servo pastore / Bocca di rosa / Se ti tagliassero a pezzetti / Jamín-a / La canzone dell'amore perduto / Il bombarolo / Ave Maria

白鳥の歌~ラスト・コンサート

In concerto(イン・コンサート)はファブリツィオ・デ・アンドレが亡くなった年にリリースされた追悼盤。最後のスタジオ盤 Anime salve(救われし魂)リリース後、1997年の初頭から始まったライヴツアーは、デ・アンドレの病状が悪化した翌年の晩夏まで続いた。病名はのちに肺ガンと診断されたが、それから間もない99年1月11日、入院先のミラノにて58歳という若さでこの世を去った。その二日後に生まれ故郷のジェノヴァに埋葬され、葬儀には約2万人のファンが参列したという。

本作はこの最後のツアーを記録したライヴアルバムで、ジェノヴァ(テアトロ・カルロ・フェリーチェ)、ミラノ(テアトロ・ズメラルド)、ローマ(テアトロ・ブランカッチョ)の各ステージから選曲されている。2001年には同音源から続編 In concerto Volume II(1991 concerti からの2曲を含む)が制作された。両盤共にアルバム Anime salve からの曲を主軸に、往年の代表作も数多く収録しており、まさに白鳥の歌と呼ぶに相応しい素晴らしいプレイを堪能できる。また息子のクリスティアーノ(ヴァイオリン、ギターほか弦楽器、ヴォーカル)と、娘のルーヴィ(コーラス、ヴォーカル)も父親をサポートしている。Anime salve の見事な出来映えを考えると、デ・アンドレがこんなにも若くして逝ってしまったのが、本当に惜しいとしか言いようがない。

テアトロ・ブランカッチョを映像化

最後のツアーからローマのテアトロ・ブランカッチョで行われたライヴが、2004年に映像版 In concerto としてリリースされた。1998年2月13日及び14日のステージ音源を編集したもので、これが非常に素晴らしい出来栄え。第一部はアルバム Crêuza de mä(地中海への道程)からの3曲で始まり、女性コーラスが加わる Sidún(シドン)での熱唱に圧倒される。続いてアルバム Anime salve(救われし魂)を曲順通りに全曲演奏するが、タイトル曲ではクリスティアーノが、イヴァーノ・フォサーティのパートを歌い親子デュエットを実現。またアルバムではドリ・ゲッツィが歌っていた、Khorakhané(コーラカーネ)後半のロマ語によるソロパートはルーヴィが歌っている。それに音楽監督を務める盟友マーク・ハリス(キーボード担当)による、味のあるアコーディオン演奏が聴けたり、クリスティアーノを含むバンドメンバーが、伝統的な弦楽器やウィンド系楽器、打楽器など、多種多様な民族楽器を駆使してエスニックな舞台を繰り広げる。

第二部は前座でクリスティアーノがソロナンバーを2曲披露した後、デ・アンドレ自身が高評価していた、70年の名作 La Buona Novella(朗報)から5曲をプレイ。後半は初期~中期の代表曲を演奏、名曲 Amico fragile(脆い友)の熱いプレイで盛り上がった後にバンドメンバーを紹介、PFMアレンジ版の Il pescatore(漁師)や、ルーヴィとの親子デュエットによる Geordie(ジョーディ)など最後まで飽きさせない。また何度かデ・アンドレが語るシーンがあるが、字幕がなく内容が分からないのが惜しい。それは特典映像のステージ・トーク(Crêuza de mä と Anime salve について語るデ・アンドレ)についても同様である。特典はほかに、デ・アンドレ親子のバックステージ風景、ディスコグラフィ、バンドメンバー紹介が付いている。また所有のディスクはイタリア輸入盤(PAL方式)なのでPCをテレビ接続して鑑賞、音質は良好でステージは若干暗めだが画質も悪くない。CD以上に必聴・必見のライヴ映像である。

In concerto

In concerto

(1999 BMG-Ricordi 74321974432)

In concerto Volume II

In concerto Volume II

(2001 BMG-Ricordi 74321978502)

In concerto (DVD)

In concerto (DVD)

(2004 Sony BMG 82876573849)

カリム時代の初期音源をリマスター

ファーストアルバムのリリース以前、ファブリツィオ・デ・アンドレはインディ系のカリム・レーベルから、1961~66年の間に10枚のシングルをリリース、曲数で18曲をレコーディングした。そのうちの13曲はファーストアルバム Volume 1 に1曲、Volume 3 と Canzoni に6曲ずつを、新しくアレンジした再録音ヴァージョンで収録している。またジョーン・バエズも取り上げていた英国の伝承バラッド Geordie(ジョーディ)は、晩年に娘のルーヴィとデュエットしており、98年のライヴ盤 In concerto で聴くことができる。一方で再録音されなかったのは、デ・アンドレが失敗作の烙印を押した、61年リリースのファーストシングル Nuvole barocche(バロック雲)と E fu la notte(夜になって)。それに幼馴染のパオロ・ヴィラッジョと共作した63年のシングルで、その日暮らしの生活を楽しむ男を描いた Il fannulone(怠け者)、ボードレールやファム・ファタールからの影響を留めた、65年のシングル Per i tuoi larghi occhi(大きな君の瞳に)の合計4曲である。

これらを含むカリム時代のオリジナル・ヴァージョンのほとんどは、2000年にリマスター版でリリースされた初期作品集、Peccati di gioventù(若き日の罪)で聴くことができる。但し先述のファーストシングル2曲は、デ・アンドレが習作と見なしていたことが理由か、権利上の問題かは不明ながら省かれている。再録ヴァージョンの同じ曲と聴き比べるとさらに素朴な演奏で、若き日のデ・アンドレの青臭い姿を捕えた貴重な音源だ。なおここに収録された16曲は、小レーベルによる録音技術と録音時期が古いこともあり、優秀録音を誇るデ・アンドレの諸作と比較するとそれなりだが、リマスタリング技術の向上でかなり改善傾向にあると感じる。また選曲漏れしたファーストシングルの2曲は、95年発売の編集盤 La canzone di Marinella(マリネッラの歌:全16曲)、あるいは91年の編集盤 Il viaggio(デ・アンドレの旅:全18曲)などで聴くことができる。

Peccati di gioventù

Peccati di gioventù

(2000 Universal Music 542 927-2)

  1. La canzone dell'amore perduto
  2. La ballata dell'amore cieco
  3. La canzone di Marinella
  4. Delitto di paese
  5. Fila la lana
  6. Il fannullone
  7. La ballata del Miché
  8. Il testamento
  9. Amore che vieni, amore che vai
  10. La guerra di Piero
  11. Valzer per un amore
  12. Carlo Martello
  13. Geordie
  14. La ballata dell'eroe
  15. Per i tuoi larghi occhi
  16. La città vecchia

全キャリアを網羅したアンソロジー

ファブリツィオ・デ・アンドレのキャリアを3枚組の全54曲に集約した、2005年リリースのベストアルバム。タイトルの In direzione ostinata e contraria(頑なに真逆の方向へ)は、最後のスタジオ盤 Anime salve(救われし魂)収録の Smisurata preghiera(終わりなき祈り)から、妻のドリ・ゲッツィが選んだ一節。このフレイズはデ・アンドレの人間性や生き方を完結に要約した表現だという。初期作品で制作を共にした旧友のジャンピエロ・レヴェルベリが、ドリと共に曲を選び、アナログ盤の音を尊重したリマスタリングの監修も行っている。また分厚いブックレットには原語のみだが全歌詞を掲載している。これからデ・アンドレを聴く諸氏にもお勧めのアンソロジー。

ディスク1は1967~70年にリリースしたアルバムからの選曲で、カヴァー曲はあえてはずしデ・アンドレのオリジナル曲に絞っている。初期の代表作をほぼ網羅したよく練られた妥当な選曲で、アルバム毎の収録曲数は Volume 1 から5曲、Tutti morimmo a stento から4曲、Volume 3 から5曲、La buona novella から3曲、Canzoni(74年作ながら選曲は初期の曲なのでこの盤に入れるのが正解)から4曲。また70年のシングルでアルバムではライヴでしか聴けない Il pescatore(漁師)を、オリジナルのスタジオ・ヴァージョンで収録しているのが意外と貴重。年老いた漁師がアウトローの殺し屋を助けるという、デ・アンドレらしいストーリーの曲だ。

ディスク2は1971~80年の中期作品を収録。アルバム毎の収録曲数は Non al denaro non all'amore né al cielo、Storia di un impiegato、Volume 8 から各4曲、一方で名作 Rimini からは2曲のみ。しかしマッシーモ・ブボラと共作した、80年発表のアルバム未収録シングル、Una storia sbagliata(過ちの物語)と Titti(ティッティ)が聴けるのは嬉しい。前者は謎の死を遂げた映画監督パゾリーニをテーマにした名曲で、後者はコメディ映画 Dona Flor e Seus Dois Maridos(ドナ・フロールと二人の夫)がベース。また娘のルーヴィとデュエットした Geordie(ジョーディ)のライヴ・ヴァージョンも収録する。

ディスク3は1981~96年の後期作品から選曲。アルバム毎の収録曲数は L'Indiano、Crêuza de mä、Le nuvole から各4曲、Anime salve から5曲という構成。なおアルバムだと7分以上ある Smisurata preghiera は、後奏をカットしたヴァージョンでの収録。これに加え息子のクリスティアーノと共作した Cose che dimentico(忘れている事)を、親子で歌った未発表ライヴ・ヴァージョン(97年ツアーで収録)で聴くことができる。

この3枚組から漏れた曲で続編 In direzione ostinata e contraria 2(2006年リリースの3枚組)も制作されている。こちらには貴重音源の収録はないが、この2セットでデ・アンドレの重要な曲の多くを網羅している。

In direzione ostinata e contraria

In direzione ostinata
e contraria

(2005 Sony BMG 82876 752322)

In direzione ostinata e contraria 2

In direzione ostinata
e contraria 2

(2006 Sony BMG 88697 028662)

全8ツアーを収めたライヴ・アーカイヴ

ファブリツィオ・デ・アンドレのライヴ・アーカイヴ集 I concerti(コンサート全集)は、1975年~98年の間に行われた全8ツアーから厳選した音源を、各ツアー2枚ずつ16枚のディスクに収録したボックスセット。190ページを超えるフルカラーの冊子には、バックステージやセッション風景などを含むツアー写真、デ・アンドレ直筆による数々のスクリプト、全ツアーの日程や会場、メンバーなどの詳細なデータを掲載している。A4判よりひと回り大きいサイズのケース付きボックスにディスクと共に封入され、まるで美術書のような豪華な体裁になっている。ツアー別に分売したデジパック版と共に、ソニー・ミュージックから2012年に限定リリースされた。

デ・アンドレのツアーは75年3月、ヴィアレッジョにあるセルジオ・ベルナルディーニ主催のナイトクラブ、ラ・ブッソラから始まった。La Bussola(CD1)は同クラブにおけるライヴの記録、Storia di un impiegato(CD2)は同年8月のモデナと、11月のブレシアのステージを収録している。バックバンドにはニュー・トロルズのメンバー(ジャンニ・ベレーノ、リッキー・ベローニ、ジョルジョ・ウサイ、ジョルジョ・ダダモ)が含まれており、サポートメンバーとしてルーチョ・ファブリの名前もある。アレンジはトニー・ミムズが担当。2枚とも音質のクオリティは低めだが、音源の貴重度はボックス中で随一。特にラ・ブッソラは会場の雰囲気が伝わってくるような臨場感に溢れている。

+ PFM(CD3/4)は In concerto: Arrangiamenti PFM(イン・コンサート:PFMアレンジ編)の2作と同じ音源で、79年1月のフィレンツェとボローニャのライヴを収録している。正確には、2007年にデジパックで再発売された際のリミックス&リマスター音源を使用しており、音質は旧規格盤と比較して音圧が増しクリア度も高く聴きやすい。またボーナスとして、ローマのパラエウル(現パラロットマティカ競技場)公演の音源を4トラック追加。79年1月22/23日に開催されたアウトノミア運動の抗議集会のライヴで、Il testamento di Tito(テトスの遺言)、Amico fragile(脆い友)、Rimini(リミニ)を演奏している。オーディエンス録音で音質は褒められたものではないが、歴史的な記録として収録する意義があったのかもしれない。

L'indiano(CD5/6)は、81年の夏から翌年の夏にかけて行われたツアーから、82年4月のデュッセルドルフ公演を中心に、2月のミラノ公演からも何曲か収録している。データを見る限りデ・アンドレの海外公演はこの年の春だけで、ドイツ主要7都市に加えウィーンとチューリヒを巡っている。バンドメンバーにはマッシーモ・ブボラ(ヴォーカルとギター)、マーク・ハリス(キーボード)、マウロ・パガーニ(ヴァイオリン)らの名前がある。またサポートメンバーに息子クリスティアーノのバンド、テンピ・ドゥーリがクレジットされている。音質はオーディオ的には相応の水準だが、アルバム L'indiano(インディアーノ)リリース当時のライヴは貴重かつ非常に魅力的。

84年は大ヒットを記録した Crêuza de mä(地中海への道程)のリリース年だが、ツアーデータを見る限り、意外にも同年8月からわずか二ヶ月という短期間しかツアーを実施していない。その理由を推測するに、日本盤を発売したキングレコードのディレクター新井健司氏が、85年に車椅子に乗せられた闘病中らしきデ・アンドレと会った、という記事(Musica Vita Italia No.6 参照)と関連があるかもしれない。Crêuza de mä(CD7/8)はこの時のツアーから、サルデーニャのヌオロとジェノヴァ近郊のキャヴァーリのライヴを収録、録音はラフ。バンドメンバーにパガーニ(ヴァイオリン、ブズーキ、フルート他)や、クリスティアーノ(ギター、ブズーキ、ヴァイオリン)の名前がある。

Le nuvole(CD9/10)は91年初頭と夏のツアーを記録したもので音質は優秀。当時の音源はライヴ盤 1991 concerti(コンサート 1991)でリリース済みだが、こちらは収録地の異なるミラノおよびマロースティカ公演を収めている。マウロ・パガーニの貢献度が高く、アルバム Crêuza de mä(地中海への道程)と Le nuvole(雲)からの選曲がメインだが、Andrea(アンドレーア)や Giugno'73(73年6月)など、旧盤では聴けない曲もある。92/93年のツアーを収録した In Teatro(CD11/12)もほぼ同じメンバーで、新たにドリ・ゲッツィがコーラスで参加。セットリストにはアルバム La Buona Novella(朗報)収録曲や、レナード・コーエンのカヴァーのほか、69年の映画 Nell'anno del Signore(主の時代に)のサントラから、 I carbonari(カルボナーリ党)を演奏しているのが珍しい。

残りの4枚は、97/98年に行われたデ・アンドレ最晩年のツアーを優秀録音で収録していてる。この時期の音源は映像を含めて In concerto(イン・コンサート)のタイトルで複数リリース済みだが、収録地データを確認するとジェノヴァ以外は初出の音源だと思われる。Anime salve(CD13/14)はモンティチャーリ、トレヴィーリオ、ナポリのステージを収録。クリスティアーノは楽器演奏に留まらず、Cose che dimentico(忘れている事)など数曲でデュエットするなど活躍が目立つ。Mi innamoravo di tutto(CD15/16)のほとんどは、生誕地ジェノヴァのテアトロ・カルロ・フェリーチェにおけるライヴで、クリスティアーノのソロ作品 Notti di Genova(ジェノヴァの夜)のみトレヴィーゾにて収録。娘のルーヴィやマーク・ハリスも参加しており、有終の美を飾る素晴らしいステージが展開されている。

I concertiI concertiI concertiI concertiI concertiI concertiI concertiI concertiI concerti

I concerti

(2012 Sony Music 9788896345276)

CD 01/02 : La Bussola e Storia di un impiegato
CD 03/04 : + PFM
CD 05/06 : L'indiano
CD 07/08 : Crêuza de mä
CD 09/10 : Le nuvole
CD 11/12 : In teatro
CD 13/14 : Anime salve
CD 15/16 : Mi innamoravo di tutto

《後記》ファブリツィオ・デ・アンドレに関する日本語の情報が圧倒的に少なく、公式ウェブサイトを始め海外のウェブサイトを参考にしている部分が多いため、解釈違いをしている可能性があることをご了承ください。またイタリア語版ウィキペディアの内容からも信憑性の高そうな部分を参照しましたが、その際同内容を紹介していると思われる Musica Vita Italia No.6 のファブリツィオ・デ・アンドレ特集の記事を、自身の翻訳と整合性を取る目的で活用させていただきました。但し転用はしていません。アルバム名や曲名の和訳はタイトルらしく意訳している場合があります。疑問点やご指摘等ございましたら、サイト下方のメールアドレス宛までご連絡ください。