アルバム概要
A Conversation with Steve Winwood は、1986年に500枚限定プレスされたプロモーション用の貴重なアイテム。アルバム Back In The High Life 収録曲の曲間に、トレヴァー・ダンによるインタヴューを挟む形で構成されている。アルバム制作や各曲についてのエピソード、それにトラフィック時代の話題など興味深い内容となっている。インタヴューは英国グロスターシャにあるスティーヴの自宅で1986年5月に行われた。
インタヴュー内容
スティーヴ・ウィンウッドさん。前作から4年が経ちますが、今この時期に新作アルバム Back In The High Life をリリースすることになった理由は何ですか?
これまでいろいろな事情からとても厳しい時期が続いて、そしてさまざまな変化があったんだ。だからこのアルバムは自分にとって新たな出発点になったんだよ。今回は大勢のミュージシャンとプレイして、プロデューサーやエンジニアも起用して、それに何人かの作詞家たちとも一緒に曲作りをしているんだ。これまでとはかなり違うタイプのアルバムになったと思うよ。僕はもともとスローワーカーだからアルバム製作にはかなり時間がかかるんだけど、今回は大勢の人たちと作業するから、スピードアップできるんじゃないかなと思ったんだ。でも実際はそう簡単じゃなかったよ。
Back In The High Life というタイトルですが、ご自身もある意味でそうなったと思いますか?これまで孤独な作業に徹していたあなたが、今や大勢のミュージシャンと一緒に仕事をしているわけですが。
そうだね。これまではアルバム製作をメインにしてきたけど、今回はマネジメント関連なんかはほとんど人に任せて、パフォーマンスの機会をより多くしようと考えているんだ。今はあらゆることにポジティヴに取り組むことができるよ。
音楽 : Higher Love
さて最初の曲ですが、とても有名なミュージシャンを招いてますね?
シャカ・カーンが歌っていて、ナイル・ロジャーズがギターを弾いてるよ。
フィル・コリンズを例にあげてもいいですか?「ちょっとフィル・コリンズの音楽に似ているようだ」という感想を、おそらく多くの人が持つかと思うのですが。例えばバックホーンの音使いとか。フィル・コリンズのような最近のポピュラーな音楽などは聴きますか?
うん、色々な音楽を聴くよ。もっとも音作りの点で意識的にフィル・コリンズのサウンドに近づけようとしたことはないけど、以前「フィル・コリンズに声が似ている」と言われたことはあるよ。でもこれは持ち前のものだからどうすることもできないよね。ところでホーンの音と言ってたけど、これはデヴィッド・フランクによるアレンジでプレイしているんだ。彼はフィル・コリンズとも何曲か一緒にやってたと思うよ。
レコーディングはすべてニューヨークで行なったんですか?それとも何曲かはこれまでと同様、ここコッツウォルズで?
【訳注】コッツウォルズはスティーヴの自宅スタジオがあるグロスターシャを含む地域一帯を指す。
いや、すべてニューヨークで行なったんだ。向こうへ行く前に、ドラムプログラミングやシークエンサープログラミングなどここで済ませたのもあって、それをフロッピーディスクに入れておいたりしてね。でも基本的にレコーディングはすべてユニークスタジオだよ。
あなたほどのポジションの方なら、どんなスタジオでも利用できると思うのですが、ユニークスタジオは、そういう意味ではあまり有名ではないでしょう?タイムズスクエアから離れた場所にあるし。ほかのところでなくニューヨークを選んだのはなぜですか?
このアルバムでは、新しいミュージシャンやスタッフたちと意欲的に取り組みたいと思っていたんだ。その点でニューヨークはうってつけの場所だった。活気に溢れていて、いろいろな音楽もあるし、多くの優れたプレーヤーもいるから、アルバム製作の大きな原動力になるんだよ。そういったことが、僕にとっては非常に魅力的な街に映ったんだと思うし、仕事をするうえでは本当に素晴らしい場所だよ。ユニークスタジオは確かに流行りのスタジオじゃないかもしれないけど、設備や楽器などテクニカルな面はとても進んでいるし、スタッフも豊富な知識を持っている。今回はこれまでと違って、プログラミングやエンジニアリングなど技術的な部分に携わることを極力避けるようにしたんだ。自分よりも優秀なスタッフに任せたいと思ったんだよ。そういう意味でもニューヨークにはたくさんの選択肢があったんだ。
音楽 : Take It As It Comes
スティーヴ、このアルバムでは作詞面で苦労がありましたか?あなたのアルバムでは作詞家を起用する傾向にあると思いますが、今回の歌詞はどのように作ったのでしょう?
そうだね、これまでもよく作詞家たちと作業をしてきたし、トラフィックやスペンサー・デイヴィス・グループの頃からそうだったよ。必ずというわけじゃないけど、僕は特定の作詞家と組むことが多かったんだ。でも今回のアルバムでは、何人かの新しいパートナーとも仕事をしてるんだ。それに優れた作曲家もいたしね。それで自分が作曲の中心になりながら、彼らとのコラボレイションを大いに楽しむことができたんだ。
名前を挙げてもらってもいいですか?ウィル・ジェニングスなど多くの作詞家と共作してますよね?ヴィヴィアン・スタンシャルもですか?
そうだね、今回はスタンシャルも協力してくれてるよ。それにジョージ・フレミングも。それからジョー・ウォルシュとも何曲か作って、そのうちの1曲 Split Decision をアルバムに収録してるよ。このアルバム全体が多くのミュージシャンとのコラボレイションなんだ。
曲作りについてですが、まず歌詞を先に手に入れてそれから作曲するのですか?それともメロディのアイデアを作詞家に渡して、歌詞を書いてもらうのでしょうか?
作詞家との作業には特に決まりはないよ。曲がある程度完成しても、さらによいアイデアが浮かべばはじめからやり直すし、歌詞の一部やメロディの断片からはじめて、そこからアイデアが膨らむこともある。あるいはコーラス部の歌詞やメロディから曲を組み立てることもあるんだ。
Freedom Overspill の場合はどうでしたか?この曲はどちらかというと、歌詞のアイデアの方が強力に思えるのですが。
えーと、これは..... 音楽から始まった曲だったよ(笑)。この曲のクレジットにも入っている、キーボードプレーヤーのジェイムズ・フッカーとお遊びで弾いていたメロディの断片から始まったんだ。その後でジョージ・フレミングと歌詞を付けたんだよ。Back In The High Life Again は歌詞が先で、Higher Love は音楽と歌詞が同時だった。作曲する時にひとつの方法だけに固執するのは難しいことなんだ。それが作曲の本質だと思うんだけど、形式化するのは不可能だし、どうやって作るかを説明することもできないよ。作曲というのはいろいろと探求のできるエキサイティングな作業なんだ。
音楽 : Freedom Overspill
さて次はタイトル曲です。曲を作る際には歌詞の中に何らかのメッセージを読み取ると思いますが、このタイトル曲は誰か特定の人に対して作曲したのですか?この曲を聴くリスナーのことが心に浮かんでいたのではないでしょうか?
うーん、そうでもないかな。もちろん多くの人に曲を聴いてもらいたいとは思ってるけど、答えはやっぱりNOだ。というのは、作曲したりレコーディングする時、満足のいくものを作ろうと心がけているので、曲に対してはリスナーと同じくらい、あるいはそれ以上に批評的になってしまうからなんだ。自分が満足できないものはほかの人も満足できないと考えてるから。
英国でソロのヒット曲がまだないということは気になりますか?アルバムアーティストとしてのあなたを失望させているように感じるのですが。もちろん国外でのヒットがあることは承知してますけど。例えば Valerie のような、ビッグヒットを期待できるような曲をリリースしていますが、実際にはそうはならなかった。
【訳注】この時点ではヒットした新録音のほうの Valerie はまだリリースされていない。
正直なところ、それほど気にはしてないんだ。というのも、多くのリスナーを獲得するという点では英国はそれほど大きなマーケットじゃないからね。理屈では気にならないと言えるけど、でも多少は残念でもあるかな。でもあまりこだわってないよ。ヒットレコードを出すのが目的じゃないし、執着があるわけでもないんだ。僕はリスナーに狙いを定めることはできないし、決してそうはしないと思う。そこには何か偽りのようなものを感じるんだ。自分ができるだけのことを精一杯やる、ということを信条にしてるし、それを気に入って聴いてもらえれば光栄なことだよ。仮にそうじゃなかったとしても..... 実際そういうこともあったんだけど、やっぱりいろいろ学びながらレコードを作り続けると思うんだ。
音楽 : Back In The High Life Again
タイトル曲はかなり明確にカントリー風のアレンジをしてますよね?アコーディオンが入るとテクス・メクスっぽい趣も感じられます。これは異なる音楽スタイルを取り入れるという試みのひとつでしょうか?かつて人々が驚いたのを覚えてますが、あなたが作った Paper Sun は、シタールを用いた一連の曲の中でも最初のヒット曲でしたね?それに John Barleycorn では、まさにロックの流れにフォークの要素を織り込みましたし。今後もこのような試みを続けていくつもりですか?
うん、そういうことをやり始めたのは60年代後半の、トラフィックをはじめた頃にまで遡るんだ。メンバーが集まって、皆が影響を受けた音楽の要素を取り入れた集合的なサウンドを作ろうとかなり意識的に取り組んだんだよ。どんなレコードが好きか話し合ったら、それは本当にさまざまで、そんなスタイルの異なる音楽を融合させてみようとしたんだ。そんなトラフィックのサウンドは、今の僕にも影響を与えていると思うな。特にこのタイトル曲にはそれが顕著に表れていて、フォークやカントリーの要素が盛り込まれているんだよ。でもそれだけじゃなくて、厳密には何かは言えないけどそれ以外の要素も入ってるんだ。ただ今はこれらの要素を意識的に取り込んでいるんじゃなく、作曲やレコーディングをしている時に自然に湧き上がってくるような気がするんだ。
トラフィック、そしてハイライフに戻ってきた、ということについて触れてきましたが、あなたはかつてスーパースターのひとりでしたね。そしてスーパースターにはスーパーグループがつきものでした。今でもその当時の仲間たちと会うことはありますか?階下のバスルームにブラインド・フェイスのゴールドディスクが飾られているのに、つい目がいってしまったのですが、例えばエリック・クラプトンのような、あなたがかつて共に演奏していた仲間たちと会ったりしますか?最近でも付き合いは続いているのでしょうか?
そうだね、確かにエリックとはARMSコンサートで共演したよ。それもそんなに前のことじゃない。明らかなのはみんなが動いているときは、昔の友達と会うのはなかなか難しいってことかな。エリックはツアーが多いし僕も活動しているし、それぞれ予定があるからね。よく話しはするんだけど、例えば僕が「来週は空いているんだ」と言うと、彼が「残念だ、来週は日本へ行く予定なんだ」といった具合さ。だからそういう人たちと常に交流を保つというのは、なかなか難しいんだ。でも、もちろん昔の仲間たちとはこれからも連絡をとり続けようと思ってるよ。
コッツウォルズに住むようになってからどの位になりますか?10年か12年くらい?
15年、いや16年だったかな。
そんなに!ここで暮らすようになったのは隠遁生活を望んだからですか?忙しい生活環境から逃れたいと思ったとか?
うん、学校を15の時に辞めてから70年代半ばまで、ずっとロックミュージシャンとしてツアーをしてたから、音楽の別の側面をもっと掘り下げてみたいと思ったんだ。風変わりなプロジェクトにいろいろと関わってみたかったんだよ。実際そういうことに参加したし。まぁ 風変わり というのは相応しい表現じゃないかな..... 珍しいプロジェクトということだね。そういうグループや、興味をそそられるバンドやミュージシャンと一緒にやってみたかったんだ。
ツトム・ヤマシタなどがそうですね?
そうそう。それからアフリカのミュージシャンたちとも一緒にやったよ。ほかにもいろいろな活動に関わった。ラテンバンドのファニア・オールスターズや、大勢のフォークミュージシャンともね。いろいろな食べ物を求めるのと同じように、さまざまな人たちと関わったんだ。
当時のあなたは変わり者とか、少々エキセントリックな人物として、真偽とりまぜての評判があったと思います。「あの人、これからもヒットを出し続けることができたろうに、変わり者になってしまうなんて」というように。当時は「あぁ、もうポップビジネスは懲りごりだ!」というような気持ちだったのですか?
その通りだよ。とにかく音楽の別の分野を探求したかったんだ。スターになることよりも音楽そのものに興味があったんだ。だからもっといろいろな側面や方向性を突きつめたいと思って、実際にそうしたんだ。
音楽 : The Finer Things
さて次はちょっと趣の違う曲 Judgement Day ですが、この曲の途中はまるでファンクバンドのようなサウンドですね。ニューヨークのレコードという雰囲気が感じられるのですが。
そうかもしれないね。作曲したのはグロスターシャだったけど(笑)。ただどこでレコードを作ってもサウンドは スティーヴ・ウィンウッドのもの でありたいと思ってるんだ。でもあなたの指摘の通りかもしれない。この曲にはナイル・ロジャーズとか、素晴らしいプレーヤーが参加しているんだ。ジョン・ロビンソンはドラムズなんだけど、彼の演奏は素晴らしいよ。デヴィッド・フランクはここでもホーンパートを担当していて、作詞はウィル・ジェニングスだね。この曲ではある程度ユーモアを加えることが重要だったんだ。音楽にそれが感じられると思うよ。
ところで「審判の日」にどういうジャッジを下されたいですか?
うーん、よく分からないけど、僕が作った音楽で誰かを幸せにすることができたら嬉しいな。
音楽 : Wake Me Up On Judgement Day
コッツウォルズを飛び出しニューヨークへ行き新しい人たちと出会い、そういうことで再び活力を取り戻してきた、と先ほどおっしゃってましたね。今後それは、例えばツアーを行うとか、より具体的な形になって現れてくるのでしょうか?
そう、その通りだよ。若い頃に10~12年くらいツアーを続けていたけど、訪れたことのない場所がたくさんあるんだ。ロックスターとしてはあまりツアーをやったほうではないし。オーストラリアや日本で演奏したこともないんだよ。今後はこの二つを訪れてみたいと考えてるんだ。それにアメリカ国内だってまだ行ってない場所があるし。今までは大都市ばかりで、小さな町ではコンサートをしてないんだ。だからこのツアーでは、できるだけ多くの人に聴いてもらえるように計画したいと思ってるよ。それに特に昔からのファンで、今まで僕を観るチャンスがなかった人たちに演奏を披露できればいいな。
多くの人が忘れているかもしれませんが、あなたのキャリアは素晴らしく若い頃に始まったんですよね。レコードを20年以上作っていますが、まだ40前なんですよね。同時代人だと思ってあなたの音楽を聴いてきた人が、実際は違う世代だと知ったら驚くでしょうね。
そうだね。スペンサー・デイヴィス・グループでレコーディングやツアーをやり始めたのが15の時だったから。
音楽 : Split Decision
スティーヴィ、現代のロックビジネス界で活躍の幅を広げるためには、ミュージックヴィデオの制作は欠かせないと思いますが、今後はどのように取り組んで行きますか?
これまでにもヴィデオは作っていて、その制作には自分自身が深く関わっていたんだ。でも今は2人のスタッフと制作していて、妥当な予算を得ることもできた。その方面でより経験豊かな人たちと仕事をしたいと思っているよ。
最新のヘアスタイルに流行りの服と、再びポップスターのように扱われていることにプレッシャを感じませんか?
レコードを売るためにはある程度マーケティングに関わってくるし、そのより良い方法は集団の一人としてより、個人にスポットを当てることだと思うんだ。できれば僕の音楽を聴いたことのなかった大勢のリスナーを獲得したいし、より多くのリスナーにアピールしたい。もちろん昔からのファンを見放すことなくね。そのためには自分らしからぬことにも挑戦していくつもりだよ。
それは妥協ということでしょうか?
うん、というよりも..... 他の人と一緒に仕事をするとはそういうことで、妥協しない方法といえば、全て独力でやるということなんだよ。実際にそうしたこともあるしね。それはそれで良いと思うし有効な手段だと思うよ。でも「妥協」というのは良い表現じゃないな。ちょっと嫌な言葉だね。いずれにせよ素晴らしい人たちと仕事をすると、それなりの反応が返ってくるし、いろいろな影響を与えてくれるよ。それが重要なことなんだ。
今まで聴いてきた曲はどれも、ダンスフロアで流れるような非常にスピード感のあるものでした。しかし唯一、ひょとしたら他のアルバムに収録したほうが合うんじゃないかと思えたのが、次の最後の曲 My Love’s Leavin’ なんです。非常に私的な雰囲気が感じられますが、この曲は作詞の面であなたが深く関わっているのでしょうか?
そうだね、ある程度関わってるよ。ヴィヴィアン・スタンシャルとの共作だけど、彼のほうがシリアスなムードだったと思う。ただこの曲は後半で展開があるから、全くの悲しい曲という訳ではないんだ。終わりに向かってやや高揚感のある要素も含まれているんだよ。曲調やスタイルは確かにそう聞こえるんだけど、ストリングスを使っていても以前のアルバムとは違った効果を用いているので、ほかのどのアルバムよりもここに収めるのがふさわしいと思うんだ。この曲では僕自身もさまざまな楽器をプレイしてるよ。ギター、ベース、キーボード、シンセ、それからオーバーダブもやった。これまでのアルバム制作の状況と似ているな。いずれにせよ繊細なバラードタイプの曲になってるね。
このアルバムでは多くのミュージシャンたちと一緒に、とても熱狂的な演奏を繰り広げてますが、古いハモンドオルガンのように聞こえる音はシークエンサーですか?
古いわけじゃないよ。あれはシンセじゃなくてハモンドの音なんだ。そういう風に聞こえるんじゃなくて本物のハモンドで演奏してるんだ。
先ほどふれた Valerie の歌詞のなかで「僕は昔のままのぼくだよ」という一節がありますが、ご自身がそうであると思いますか?というのは今回のアルバムを聴くと、かつてのあなたの姿を感じることができるような気がするんです。
進歩していく過程で、自分のバックグランドやルーツから離れることは簡単だけど、僕の場合は昔聴いたR&Bのレコードのような、音楽のベースになっているものに立ち返ることがとても大切なんだ。それが自分から失われることは絶対にないし、失いたくもない。それは本当に重要なものなんだよ。だから今後も変わることはないだろうね。このアルバムではそういう部分を取り戻し、よりいっそう追求できたと思っている。
スティーヴ、ありがとうございました。最後の曲です。
音楽 : My Love’s Leavin’
Thanks to Ms.Jawohl for translation of “A Conversation with Steve Winwood”.
Special thanks to Mr.Vappi for the source & picture image of “A Conversation with Steve Winwood”.