アルバム概要
スティーヴ・ウィンウッド、ジム・カパルディ、クリス・ウッドのオリジナルメンバーに、パーカッショニストのリーバップ・クワク・バー、リズムセクションにリック・グレッチとジム・ゴードンが加わり、1971年5月以降トラフィックは6人編成となった。一時的にデイヴ・メイスンが参加したロンドン公演を含め、英国各地とアメリカツアーを敢行した後、トラフィックは9月にロンドンのアイランド・スタジオに赴き、6枚目となる本作のレコーディングを実施している。プロデュースはスティーヴが単独で行い、エンジニアリングはブライアン・ハンフリーズが担当した。アルバムのデザインにはトニー・ライトを起用、変形ジャケットの原案はジムで、六角カットにより立方体を表現した発想がユニークで面白い。裏面の写真はリチャード・ポラークが撮影している。この時期からトラフィックには変化の兆候が現れてくる。これまでは基本的に少人数制だったが、メンバーの数が増え始めメンバーチェンジも頻繁に繰り返されるようになる。これはバンド内で紛争が生じたわけではなく、ごく自然な形で交代が行われたようだ。またジム・カパルディはドラムズを離れてヴォーカルに転向、本作では2曲でリードを受け持っているが、この新たなスタンスは同年12月にメンバー初のソロアルバム制作へと繋がった。
トラフィックが目指す多様な音楽要素の融合というスタイルは、本作においてもいくつかの曲においてしっかり踏襲されている。また70年代のサウンド傾向を反映し、タイトル曲に代表されるような長尺ナンバーが半数を占め、スタジオ・ジャムセッションのようなインタープレイ重視の演奏が展開されている。本作は特にジャズロックが流行っていたアメリカで好意的に迎えられ、セールス面でも大きな成功を収めた。この成果はスティーヴにとっては少々予想外だったようで、「ちょうどアメリカのラジオ局が、AMからFMへの転換期だったことが功を奏したんだ。僕たちはただ自分たちが望むがままにレコーディングしただけだから」などと語っている。新興のFM局はシングル以外の長い曲も放送したという。71年11月にアルバムがリリースされた直後、リック・グレッチとジム・ゴードンがバンドを脱退したため、トラフィックは米国アラバマ州のマッスル・ショールズ・サウンド・スタジオのリズムセクションをメンバーに迎え、翌年1月からアメリカツアーを開始した。しかしこのツアーの最中にスティーヴは体調不良を訴えてダウン、腹膜炎により生死の狭間をさまようほどの危機に見舞われてしまう。このためトラフィックは一時的な活動の中断を余儀なくされた。
収録曲について
クリスのフルートとスティーヴのアコースティックギターがリードする Hidden Treasure は、ブリティッシュ・フォークに東洋風のメロディーをミックスしたような幻想的な曲。ジムによるとチベットの死者に関する書物から題材を得て作詩したという。後期トラフィックを代表する名曲 The Low Spark Of High Heeled Boys は、各メンバーの即興的なプレイが10分以上に渡り繰り広げられる。メランコリーなムードに包まれたマイナー調のメロディと、適度な緊張感を伴うゆったりとしたノリが、なんとも心地良い高揚感を生み出す不思議な作品。ジムによる抽象的な歌詞はレコード会社を批判したものとか、当時全盛だったグラムロックを皮肉ったものなど多様な解釈がある。また曲のタイトルとアイデアは、ジムがモロッコ滞在中に交流のあった俳優のマイケル・Jポラードから着想を得たという。Rock And Roll Stew はリック・グレッチとジム・ゴードンの共作という珍しい曲。ストリート・ミュージシャンを題材にしたシンプルなロックで、リードヴォーカルはジムが歌っている。アメリカでシングルカットされ、2分ほど長いロングヴァージョンがAB両面に収録された。
Many A Mile To Freedom はあまり目立たない地味ソングだが、長閑な自然を想起させる牧歌的な作風はトラフィックらしい。スティーヴのギターソロにクリスのフルートも全編で活躍する。Light Up Or Leave Me Alone はパワフルなリードヴォーカルを披露したジムの代表作。スティーヴのギターもフィーチュアしファンク風の演奏が繰り広げられ、ステージではジムがメンバー紹介を曲中に挟むことも。2007年開催のトリビュートライヴ A Celebration For Jim Capaldi では、スティーヴが歌うヴァージョンを聴くことができる。ラストはクリスのフルートが奏でる異国風なメロディが印象的な Rainmaker。前半は哀愁感のあるスティーヴのヴォーカルがリードする穏やかなムード、後半から曲調が変わりスティーヴのギターやクリスのサックス、リーバップらのパーカッションが活躍しアフロジャズ的な展開をみせる。タイトル曲と並ふ本作のハイライトである。
【参考】公式サイトの Many A Mile To Freedom の作詞クレジットは、ジム・カパルディではなく「アンナ・カパルディ」となっている。実際に作詞したかは不明だが、ジムが当時付き合っていたアンネ・ウェストモアを指すと思われる。また同様に公式サイトの Rainmaker のドラムズのクレジットは、ジム・ゴードンではなく「マイク・ケリー」と記されている。元スプーキ・トゥースのマイク・ケリー本人の発言もあり公認されているようだ。
参加メンバー
パーカッショニストのリーバップ・クワク・バーは、ガーナの古都アシャンティにあるコノンゴ出身。60年代にヨーロッパに渡り、1969年にパリでジャズピアニストのランディ・ウェストンのバンドに参加した。またディジー・ガレスピーとも交流があり、リーバップと命名したのはガレスピーだといわれている。その後スウェーデンに移住し、71年初頭に北欧ツアー中のトラフィックに加入、中後期のほとんどのアルバムでパーカッションをプレイしている。77年にはトラフィックのロスコ・ジーとCANに加入し、79年の解散まで在籍した。また70年代には3枚のソロアルバムを制作しているが、83年1月にスウェーデンでのパフォーマンス中に脳出血で倒れ、38歳という若さでこの世を去った。
リック・グレッチはフランス・ボルドー出身のウクライナ系英国人で、1965年にファミリーの前身ファリナスのメンバーとしてプロデビュー。ファミリーでは初期2枚のアルバムでベースとヴァイオリンを担当している。その後ブラインド・フェイスを経て、70年8月からトラフィックに加入し71年末まで在籍した。70年代中頃にはマイク・ブルームフィールド、レイ・ケネディとKGBを結成するが、ドラッグ中毒の影響などもあり大きな成功を収めることはなかった。73年にソロ名義で携わった曲をまとめた編集盤 The Last Five Years をリリースした。音楽業界から身を引いた後、英国レスターでカーペット販売業を営んだが、肝臓疾患と脳内出血のために90年に43歳でこの世を去った。
ジム・ゴードンはロサンゼルス出身のセッションドラマーで、60~70年代におけるロックの主要作に多数参加している。60年代末にデラニー&ボニーのバンドに加入、1970年にエリック・クラプトンの初ソロアルバムへの参加を経て、デレク&ザ・ドミノズのメンバーとなる。ドミノズではクラプトンと共に Layla の共作者としてクレジットされている。71年にはジョン・レノンのアルバム Imagine のレコーディングに参加、トラフィックには5月に加入し年末まで在籍している。しかしそんな活躍の一方でゴードンは極度の精神分裂症を患っており、結婚と離婚を繰り返しドラッグ中毒にも陥っていた。その影響から83年には実の母を殺害、翌年第2級殺人罪として懲役16年の実刑判決を受けている。
ボーナストラックと曲順
2002年にリマスター音源でCD化された際、ボーナストラックとして Rock And Roll Stew のシングル・ヴァージョンが追加された。これは1971年12月にアメリカでのみリリースされたもので、アルバムより2分弱長くシングルではAB両面に分割収録されていた。また英国リリースのオリジナル・アナログ盤 ILPS 9180 と、このリマスターCDとでは曲順に違いがあり、LPで5曲目の Light Up Or Leave Me Alone がCDでは3曲目に並んでいる。リマスター以前の旧規格のCDもこれと同じ順序のものが多く、調べてみると71年リリース当時のアメリカ発売のアナログ盤に、これと同配列のものがあった。03年に発売された国内盤紙ジャケCDは、ジャケットのデータ自体はオリジナル・アナログ盤を使用しているが、音源はリマスターCDと同等なので、ジャケット裏面の曲順と実際の収録順とが異なっている。2022年には、多次元サウンドを実現する Dolby Atmos ヴァージョンがオンラインにてリリースされた。