ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース
ブラインド・フェイスのツアーを終えた後、1969年10月頃よりスティーヴ・ウィンウッドはソロアルバムの制作に着手していたが、その途中でジンジャー・ベイカーによる大編成バンドのエア・フォースに参加した。エア・フォースは70年1月12日にバーミンガム・タウンホールでデビューコンサートを開催、これが好評を博したので同月15日のロイヤル・アルバート・ホールのステージをレコーディングし、5月にアルバムとしてリリースすることになった。アフリカン・リズムを取り入れジャズ寄りのアプローチをミックスした、異国情緒溢れるパフォーマンスを収録したライヴ盤となっている。メンバーはジンジャー・ベイカーが師と仰ぐフィル・シーメン、旧友のグレアム・ボンド、ブラインド・フェイスのリック・グレッチ、トラフィックのクリス・ウッド、ドクター・ジョン・バンドのシンガーで後にクリスの妻となるジャネット・ジェイコブズ、ムーディー・ブルーズのデニー・レイン、ナイジェリア出身パーカッショニストのレミ・カバカ、サックスのバド・ビードルなど、かなりの人数に登る。また73年にサード・ワールドのアルバム Aiye-Keta で共演するスティーヴとカバカは、このセッションを通じて知り合ったと思われる。また不思議なセンスのジャケットは、ジンジャー・ベイカー自身がデザインしたという。
スティーヴは Don’t Care と Do What You Like の2曲でリードヴォーカルを担当、ベイカーとスティーヴが共作した前者はジャネット・ジェイコブズとデュエットで歌っている。ブラインド・フェイスの再演となる後者は、ライヴだけにオリジナル以上の迫力で聴き応えがある。この曲を含めてオルガンに関しては、冒頭の Da Da Man でソロをプレイするなど聴きどころは多い。トラッドナンバーの Early In The Morning は、デニー・レインとジェイコブズのツインヴォーカルで、クリス・ウッドの印象的なフルートが登場。レインはトラッドソングをアレンジした Man Of Constant Sorrow でもヴォーカルを披露している。クリーム時代のベイカーの代表作 Toad と、サード・ワールドを先取りしたようなレミ・カバカの独特の作品 Aiko Biaye では、ベイカー、カバカ、フィル・シーメンの打楽器陣が活躍する。そして最後の即興風な小品 Doin’ It は、珍しいベイカーとリック・グレッチの共作曲である。ロイヤル・アルバート・ホールのコンサートの後、スティーヴはソロ活動を再開したので、2作目の Air Force II には不参加。また同時期にシングル・リリースされた、スタジオヴァージョンの Man Of Constant Sorrow の録音にも携わっていない。
ジンジャー・ベイカー
ジンジャー・ベイカーはロンドンのルイシャムで誕生。本名はピーター・エドワード・ベイカーで、ジンジャーのニックネームは彼の赤茶色の髪に由来している。ジャズバンドのドラマーとして50年代から活動、その後アレクシス・コーナーのブルーズ・インコーポレイテッドを経て、グレアム・ボンド・オーガナイゼイションを結成した。1966年にはエリック・クラプトン、ジャック・ブルースとクリームを結成、バンドは圧倒的な人気を獲得した。ベイカーはロック史上における初のスーパースター的存在のドラマーとして活躍し、迫力ある自由奔放なドラミングスタイルは、ロックドラマーたちに多大な影響を与えた。クリーム解散後はブラインド・フェイス、エア・フォースを経て、アフリカ音楽に専念するためナイジェリアに渡り、ラゴスに西アフリカ初の最新式レコーディング施設ARCスタジオを建築し、72年に初のソロアルバム Stratavarious やフェラ・ランサム・クティとの共演盤などを制作した。74年には、ポール&エイドリアン・ガーヴィッツ兄弟とベイカー・ガーヴィッツ・アーミーバンドを結成、シンプルなロックサウンドに回帰し3枚のアルバムをリリースした。その後ホークウィンドでの活動を経て、87年には4人のアフリカ人パーカッショニストとドイツのジャズ・ミュージシャンを起用し、アフリカ音楽と西洋音楽を融合させた力作ライヴ盤 African Force を発表した。90年代に入るとヨナス・エルボーグ、ヤンス・ヨハンスンと組み、アコースティック楽器によるインストルメンタル盤 Unseen Rain を制作、ビル・フリーデン、チャーリー・ヘイデンを起用しジャズロック路線を追究した Going Back Home、ジャズトランペッターのロン・マイルズとの共演盤 Coward Of The Country などをリリースしている。