サード・ワールド
スティーヴ・ウィンウッドは、Shoot Out At The Fantasy Factory ツアーを終えた1973年の5~6月頃に、アフリカ系ミュージシャンのレミ・カバカとラフティ・アブドゥル・ラシシ・アマオと共に、ロンドンでレコーディングを行った。ユニット名はサード・ワールドで、アイランド・レコードの実験的な廉価盤を扱うヘルプ・レーベルから、7月に唯一のアルバム Aiye-Keta をリリースした。タイトルの意味は不明だがナイジェリアに Aiye、ガーナに Keta という地名がある。実質的なリーダーは収録曲を全て書き下ろしリードヴォーカルも歌うレミ・カバカで、演奏面ではアフリカン・ドラムやコンガなどのパーカッション、リズム・ギターやピアノもこなすというマルチプレイヤーぶりを発揮している。アブドゥル・ラシシ・アマオはサックスやフルートなどの吹奏楽器を主に演奏、スティーヴはリードギター、キーボード、モーグなどをプレイしているほか、プロデュースとエンジニアリングも担当した。全編に渡ってエスニックでリズム感豊かな演奏が繰り広げられており、ジンジャー・ベイカーズ・エア・フォース以上にアフロジャズ色が濃厚だ。スティーヴとカバカは76年にも未発表ながらアルバム用に数曲をレコーディングしたようで、これらについてスティーヴは「アフリカ音楽ではなく、アフロ・コスミック・パンク・ディスコ風の曲だ」とある音楽雑誌のインタヴューで語っている。ユニット名とジャケット・デザインは英米で異なっており、英国では「ワラ男」仕様のジャケットでユニット名はサード・ワールドだが、米国では「走る動物」仕様のジャケットでユニット名はメンバー名の列記に変えられた。後発の米国盤でユニット名にスティーヴの名前を出したのは、セールス不振への対策だったようだ。CDではオリジナルの裏面にあったメンバーの顔写真が表ジャケットとして使われている。
【参考】ジャマイカのレゲエ・バンドであるサード・ワールドとはまったく無関係ながら、このバンドも同じ1973年に結成され、76年にアイランド・レコードからファーストアルバムをリリースしている。
メンバーについて
ジャケット裏面写真のスティーヴを挟んで左側がレミ・カバカ、右側がラフティ・アマオ。二人は共にナイジェリア出身で、レミ・カバカとスティーヴはエア・フォースが初共演と思われる。パーカッショニストでマルチプレイヤーのカバカは、サード・ワールドの直後にナイジェリアのラゴスで、ポール・マッカートニーの Band On The Run のレコーディングに参加、80年代には同じくラゴスでフェラ・ランサム・クティとジャムセッションを行っている。またポール・サイモンの1990年作 The Rhythm Of The Saints にも参加している。サックス奏者でパーカッショニストのラフティ・アブドゥル・ラシシ・アマオは、69年にテディ・オセイを中心にロンドンで結成されたアフロポップ・バンド、オシビサの初期メンバーだった。サード・ワールドの後は、74年にアフロジャズ・バンドのジーブラを結成し2枚のアルバムを残している。アマオは88年に隣人との諍いの末に射殺された。
Thanks to Mr.Vappi for the picture images of “Aiye-Keta”.