Reebop Kwaku Baah
Birth Name : Anthony Kwaku Baah
Born : 13 Feb. 1944 (Konongo, Ashanti, Ghana)
Died : 12 Jan. 1983 (aged 38)

リーバップ・クワク・バーはガーナの古都アシャンティにあるコノンゴ出身のパーカッショニスト。60年代にヨーロッパに渡り、1969年にパリでジャズピアニストのランディ・ウェストンのアルバム African Rhythms に参加した。またディジー・ガレスピーとも交流があり、リーバップと命名したのはガレスピーだといわれている。リーバップは70年代にはスウェーデンに移住しており、71年初頭に北欧をツアーしていたトラフィックと出会い、スティーヴ・ウィンウッドらの誘いでメンバーに加わった。以降トラフィック中後期の全てのアルバムでパーカッションを担当、在籍期間と携わったアルバム数ではデイヴ・メイスンを上回り、4番目のメンバーとして重要な存在といえる。73年頃からトラフィックのツアーにおけるステージでの度重なる奇行や、傷害事件などによりバンドからの除名を余儀なくされ、ラストアルバムの When The Eagle Flies では2曲にパーカッションがオーバーダブされているが、クレジットに名前は入らなかった。トラフィック繋がりによる主な活動は、エリック・クラプトンのレインボー・コンサート、ジム・カパルディのソロアルバム Short Cut Draw Blood、スティーヴのファースト Steve Winwood への参加などが挙げられる。77年にはトラフィックのロスコ・ジーと共にドイツのバンドCANに加入し、79年の解散まで Saw Delight、Out Of Reach、Can の3枚のレコーディングに携わった。またポール・デルフィ、ブリスン・グレアム、ロスコ・ジーらとジャズフュージョン・バンドのゼハラを結成し、83年にアルバム Flight Of The Spirit をリリースしたが、同年1月にスウェーデンでのパフォーマンス中に倒れ、脳出血により38歳という若さでこの世を去った。
リーバップはソロ名義のアルバムを4枚リリースしている。ファーストアルバムは1972年発表の Reebop で、スウェーデンのミュージシャンをバックに録音。ロスコ・ジー、スティーヴ・ウィンウッド、クリス・ウッドらもバックアップしている。これと同時期に録音された Anthony ’Reebop’ Kwaku Bah もスウェーデンのミュージシャンとの共演盤で、ジャズピアニストのボボ・ステンソンが参加している。77年作の Trance はモロッコの伝統音楽派ミュージシャンと共演したライヴアルバムとなっている。Melodies In A Jungle Mans Head は89年にリリースされた遺作で、リーバップは亡くなる直前までアルバム制作に携わったが完成までには至らなかった。